目次
Page 1
ー 「こんな政治取材はおかしい」
Page 2
ー 竹中平蔵に国会のトイレを教えた
Page 3
ー 朝日新聞は最初からずっとダメだった ー 福島第一原発事故の『吉田調書』誤報事件
Page 4
ー 朝日新聞の失敗 ー 捏造記者と呼ばれ、全身から血が流れたからこそ

 『朝日新聞政治部』という本が今、話題だ。発売日である5月27日の初日になんと3刷り、3万部を超えた(6月21日現在、4刷4万部)というのだから、爆発的に売れている。著者は元朝日新聞政治部の記者で、現在は自身のウェブメディア『SAMEJIMA TIMES』を運営する鮫島浩さん(50歳)。本の帯には《崩壊する大新聞の中枢 すべて実名で綴る内部告発ノンフィクション》とあり、衝撃的で、なるほど食指が動く。

「こんな政治取材はおかしい」

 ページをめくっていくと、帯に偽りなし。実名で朝日新聞政治部の中枢にいた記者、経営陣、政治家が登場し、鮫島さんが入社した1994年から物語は始まる。それは日本の政治と巨大新聞社の、私たちにはふだん見えない姿。『半沢直樹』とか『ハゲタカ』とか、『白い巨塔』とか。企業や病院のドロドロを描いた小説(&テレビドラマ)があったろう、あんなふうなのだ、しかもこちらはリアル! 

 印象的な場面が、最初から登場する。

 鮫島さんがまだ入社4年目の1997年、朝日新聞の浦和支局(埼玉県)にいたときのことだ。自民党の加藤紘一幹事長(当時)が極秘で来県する情報を得て、ビルの前で張っていた。そこへ黒塗りの車が到着し、加藤幹事長がSPを従えて降りてくる。と、車からいっしょに降りたのは鮫島さんの上司である、次の朝日新聞政治部部長に有力視されていた橘優(たちばな・まさる)記者。加藤幹事長と橘記者は鮫島さんに目もくれずビルのエレベーターに乗り込み、慌てて鮫島さんも乗ろうとするとSPの腕が制する。

「なぜ私はダメなのですか! あの人は乗り込んだじゃないですか!」

 鮫島さんが橘記者を指さして叫ぶと、SPがひと言。

「お立場が違います」

 呆然とする若き鮫島記者をひとり残し、エレベーターの扉は無情にもスルスルと閉まる。鮫島さんは、「こんな政治取材はおかしい、いつか変えてやる」と思うのだ。

「悔しかったですね。だから、いつか変えてやろうと思うわけです。立場によって人に会うとか会わないとか。そいうのが政治の世界で、今も変わりません。でも確かに何を言うかも大事ですが、誰が言うかが大事なのもあります。岸田文雄総理大臣が言うのと、小川淳也議員(鮫島さんと同じ高校の同級生である衆議院議員)が言うのと、和田さん(筆者)が言うのとでは、政治的意味合いがぜんぜん違うわけだから。

 それは仕方ない部分はある。だけど、このムカつきを忘れないで、負けずに怒って、自分の発信力をつけようと思って頑張ったんです。それでもやっぱり、今思えば、これぞまさに権威主義そのものですよね

 そう振り返る鮫島さんは、本の版元である出版社の豪華な椅子にジーンズとチェックのシャツのラフな姿で座る。どう見ても、今もエレベーターに乗らない方にいる気がする。

「僕は今、新聞はとってないから朝起きるとまずインターネットで情報を収集します。ワアーッと一気に見て見極め、深掘りしていくほうが効率いいんですよ。そういう頭に今はもうなっています。ネット脳なんです。

 僕のライバルは新聞じゃありません。ライバルはスマホのゲームであり、LINEやFacebook。目標とする人は(オリエンタルラジオの)中田敦彦、あっちゃんです。『中田敦彦のYouTube大学』の登録者数は476万人。中田さんは小説から政治、お金儲けまでしゃべって、一般の人はそういう人から政治を知る。中田さんをライバルと捉え、中田さんを見てもいいけど、こっちもいいよぐらいじゃないと。そこと戦えるクオリティを目指して行きたい。敵は読売新聞とか、もうそういう考えは古いんですよ」