女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、大好きな野球の思い出について述懐する。

少年誌『野球少年』で“野球女子”に

 大谷翔平選手、佐々木朗希選手─。今をときめく球界のスーパースターたち。でも、子どものころに魅了された往年の名選手も、今なお私の胸の中で生き続けている。

 古い時代の話をさせていただこうかしら。“沢村二世”と呼ばれた切れ味鋭いシュートが武器の中尾碩志さん、「エースナンバー=18」の起源になったといわれるナックルボーラー・若林忠志さん。

 さらには、「物干し竿」と呼ばれた長尺バットを使用し、初代ミスタータイガースと呼ばれる藤村富美男さん。日本球界初の本格的なフォークボーラーといわれるフォークボールの神様・杉下茂さん。今より娯楽が少ないこともあり、プロ野球には、庶民の期待を背負ったスター選手がたくさんいた。

 そんな伝説の選手たちの現役時代のプレーを、ラジオでリアルタイムで聴いていたんだから、われながらびっくりする。佐々木朗希選手のフォークも杉下茂さんのフォークも、ひとりの野球ファンとして体験しているんだから、ちょっと自慢できることかもしれない。アハハ。

 当時はテレビなんてないから、ラジオから聞こえてくる名選手たちの一挙手一投足に、必死になって耳を傾けていた。野球に関係するものは、身体が勝手に反応してしまう─、それくらい野球が好きだった。今もだけどね。

 どうして私が野球にのめり込んだのか?小学生のころから男の子たちに交じって田んぼの中で野球をやっていたってこともあるんだけど、さかのぼれば少年誌『野球少年』の影響が大きかったような気がする。

 この時代、実況といえばNHKアナウンサーの志村正順さん、解説といえば野球記者で評論家の大和球士さんによる黄金コンビが鉄板だった。音声だけのラジオというメディアにもかかわらず、2人の名調子は、映像が浮かんでくるほど臨場感のあるものだった。

 志村さんは、先述した『野球少年』誌上に、試合の経過を実況アナウンス風につづった自筆の誌上実況を連載していて、これが雑誌の目玉企画になるほど人気を博していた。まさに、私も夢中になって文字を追ったひとり。活字好きで野球が好き─という私の原点は、この『野球少年』の誌上実況によるところが大きいのかもしれない。

 野球好きが高じて、この連載でも触れたように(岸田)今日子ちゃんが主演を務めたドラマ『鏡子の家』の演者、スタッフによる野球チーム『鏡子の家 エロティックス』を作ったのはいい思い出。

 メンバーは、杉浦直樹さん、山崎努さん、テレビプロデューサーの大山勝美さん、当時まだアシスタント(演出助手)だった久世光彦さん。共演していた女優さんには、加藤治子ちゃんや藤野節子さんもいたけど、野球に関心がない。

 ないというか、“野球女子”な女優は、当時は私ひとりだけ。面白がり屋の今日子ちゃんは、ボールを握ったこともないから、放れば手先からゴロ。でも「野球やってみたわ」とノリノリだった。

 後楽園球場や神宮球場、中野の哲学堂の野球場などで試合をした。対戦相手の中にはシナリオライターで結成された『ライターズ』なんてチームもいて、放送作家の前田武彦さんが在籍していた。

 中でも、私と同じ俳優座養成所出身の山崎努も、子どものころからの筋金入りの野球好き。あまりに野球と巨人が好きすぎて、巨人の2軍が練習する多摩川のグラウンドまで行って、選手たちに交じって一緒に白球を追いかけていたことがあるというんだから、恐るべしよ。

 この連載の担当さんから聞いたのだけど、山崎さん、最近始めたツイッターで、野球がいかに好きかをたくさんつぶやいているんですってね。初志貫徹。

 朝早くから起きて、みんなで一生懸命に野球をやる。たわいないことだけど、それがいいのよ。あのころはホントに面白かったなぁ。

 ふじ・まなみ ●静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。

〈構成/我妻弘崇〉