「みっともなくてもいいから、死ぬまでやります」

 9月30日、肺がんのため72歳で帰らぬ人となった落語家の六代目三遊亭円楽さん。'66年に放送が開始された長寿番組『笑点』(日本テレビ系)の大喜利メンバーとして、老若男女に愛された円楽さんの晩年は病との闘いだった。

「'18年には初期の肺がんが発覚し、翌年には脳腫瘍が見つかりました。その後も'20年に肺がんが再発して、今年1月には脳梗塞のため入院。半年の療養期間を経て、8月11日に国立演芸場でようやく高座復帰を果たしたばかりでした」(スポーツ紙記者)

 半年ぶりの高座では涙を目に浮かべながら、持ち前の毒舌で客席を大いに沸かせていた円楽さん。実は、この2日前には演芸場の『横浜にぎわい座』を訪れていたという。館長の布目英一さんに話を聞いた。

「出演していただいたのは1月の寄席が最後になるのですが、実はそのあとにもこちらにいらっしゃっていたんです。国立演芸場と横浜にぎわい座は舞台の構造が似ているので、高座復帰2日前の8月9日にリハーサルをされました」

 思い通りに身体を動かせなくとも、復帰を待つ人々のため精力的に練習をこなした。

「高座に、まず上がる、そしてちゃんと座るという練習をされていましたね。あとは、はっきり発声ができないとご本人は感じていらしたようで、お客さんに伝わるように話す練習をされていましたよ。その時のお姿をみて、私は“本当に強い方だな”と思いました」(布目さん、以下、同)

 熱心にリハーサルに取り組みながらも、自分のことだけではなく、円楽さんは周りへの心配りを忘れなかった。

「“みんなに迷惑かけるから”と、いつも『笑点』などの差し入れでお配りになる、江東区の『ナカヤ』のアンパンを、“みんなで食べて”ってスタッフ全員分持ってきてくださいました」

 差し入れに喜ぶスタッフの顔を見ながら、円楽さんはここでも復帰への意欲を語っていた。

俺は客寄せになるからさ

「“これでまた出るようになるから。そんなに長く落語はできないけど、でもちょっとでも、俺が出て何か話すだけでも、みんな見に来てくれるだろう。客寄せになるからさ。また出てやるよ”って、仰ったんです。こちらとしても、独演会はすぐには無理でも、また来年のお正月の寄席などに顔を出してもらって、そういうところから始められればいいなと準備していたところでした」

 布目さんは今回の訃報を残念に思いながらも、円楽さんへの尊敬を忘れない。

「よく皆さんは闘病生活の末、亡くなられた方のことを“病に負けた”とおっしゃいますが、円楽さんは決して負けてなんかいません。本当に心を強く持って行動されていた方でした」

 誰ひとりとて、その生き様を“みっともない”と思う人はいないだろう。