ひとりでいる時間がとてつもなくつらい

 代表の京子さんも、当初は死別のつらさを抱えた会員のひとりだった。京子さんは22歳のときに8つ年上の勇さんと結婚。海外で大きなプロジェクトを率いる研究者だった勇さんは不在がちで、京子さんも子育てをしながら個人事業主として忙しい日々を過ごしていた。お互いの仕事についてビジネス談議をするのは楽しく、ケンカをしたこともなかったという。

 ところが、1999年、勇さんに前立腺がんが見つかる。すでに難しい状態だったが治療を続け、10年後に亡くなった。享年67。京子さんは59歳だった。

「やれる限りの治療はして、10年も長らえて医師を驚かせた。夫も“後悔はない”と話していました。治療中も元気なときは海外旅行もして、夫婦として密度の濃い10年でした。“楽しかったね、いってらっしゃい”という気持ちで見送りました」

 そう思ってはみても、ふたりで暮らしていた家に、ひとりでいる時間が、とてつもなく寂しい。過去は振り返るまいと、アルバムも手紙もほとんど捨ててしまった。そんなときに、新聞の社会面で見かけたのが、「気ままサロン」の記事だった。京子さんは、サロン創設の中心となり、代表だった故・佐藤匡男氏に連絡し、入会を決めた。

 現在京子さんの右腕として、サロンの幹事を務める佐藤和江さんも14年前、夫を10年の闘病の後に亡くしている。

喉頭がんでした。私自身の今後も考えなくてはいけないと思っていたときに『気ままサロン』を知り、夫を見送るとすぐに入会しました」(和江さん、以下敬称略)

 おふたりが今も印象に残っていると話すのは、初めて元代表の佐藤氏に電話をしたときにかけられた言葉だ。佐藤氏も愛妻を病で亡くしていた。

“たいへんでしたね”と、穏やかなお声で言われて、ほろっと、心が一気に癒された覚えがあります」(和江)