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ー ToshIの洗脳騒動とHIDEの急死
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ー ToshIの誕生日を祝福していたが

「働きたくない。働きたくない、もう」

 そう嘆くのは、X JAPANのリーダー・YOSHIKI。これは12月20日に放送されたNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀 YOSHIKIスペシャル』の一場面。

「実に1200日におよぶ密着取材で、YOSHIKIさんの素顔に迫っていました。頸椎を痛めて、身体はボロボロ。なのに、公演前日でも納得がいかず、朝までピアノを弾き続けたり、徹夜後に昼夜2公演を行うというハードスケジュールをこなすなど、自身の演奏と音楽に向き合う姿勢はストイックそのもの。さすがYOSHIKIさんだな、と」(スポーツ紙記者)

 番組では、担当ディレクターとYOSHIKIの距離が少しずつ縮まり、多くを語らなかったYOSHIKIが徐々に口を開くようになる。

「あのスーパースターが、ここまで孤独だとは思いませんでした。YOSHIKIさんには、出会いと別れ……家族やバンドメンバーの“死”が、幾度も襲います。幼いころに父親が自死し、苦しい思いを抱える中、彼を“前”に向かせてくれたのが音楽だったのです」(同・スポーツ紙記者)

 1982年に『X』を結成後、バンド活動を通じて知り合ったHIDEが1987年に加入する。1989年にメジャーデビューを果たし、1992年には世界進出を目指して『X JAPAN』に改名をした。

「番組で、YOSHIKIさんは“世界進出にあたり、メンバーに厳しくあたってしまった”と告白していました。ただ、彼がボーカリストに特に厳しいのは有名な話。ボーカルのToshIさんには、かなり辛辣な言葉を口にしていました。完璧を求めるYOSHIKIさんの要求に応えられず、ToshIさんは精神的に追い詰められてしまうのです」(音楽誌編集者)

ToshIの洗脳騒動とHIDEの急死

 YOSHIKIのストイックさからくる厳しさは、こんな逸話からも知ることができる。

「1994年にメジャーデビューした『GLAY』のプロデュースをしたのはYOSHIKIさんですが、そのデビュー曲を米ロサンゼルスでレコーディングしたんです。楽器パートの収録は1日で終わったそうですが、TERUさんのボーカルパートは何日も撮り直した。これによりTERUさんは追い込まれ、声が出なくなったこともあったとか。

 ToshIさんが自己啓発セミナーに傾倒した末に“洗脳”状態になってしまったのも、YOSHIKIさんの完璧主義が原因のひとつにあったとも囁かれています」(同・音楽誌編集者)

 ToshIの洗脳騒動でメンバーの関係性が悪化し、1997年にX JAPANは解散。1998年にはギタリストのHIDEが非業の死を遂げる。

「もう、X JAPANの復活は難しいとファンの誰もが思っていたところ、2007年に再結成するのです。洗脳も解け、幼馴染であるToshIさんとYOSHIKIさんの関係は回復した、と思ったのですが……。2018年にX JAPANが再び活動休止に入り、2020年にToshIさんは自身のインスタグラムからX JAPAN関連の投稿を、すべて削除したのです」(前出・スポーツ紙記者)