美のカリスマとしてエステ業界を牽引

 1978年に創業し『たかの友梨』を一大ブランドに育て、美のカリスマと呼ばれ、日本エステ界のパイオニアとして業界を牽引してきた。だがその始まりは決して恵まれたものではなかったと振り返る。

「柳行李(柳や竹で編んだ箱形の荷物入れ)2つを持って、20歳で東京に出てきました。もともとが不運だったから、それをどうにか打破したいという思いが強くありました」

 新潟で生まれ、物心つく前に養子に出された。親戚の家を転々として育ち、住み込みで働きながら定時制高校に通い、理容師の資格を取得する。理容師として働きながら通信教育で美容師免許も取得。22歳でニキビに悩み、外資系の化粧品会社に転職するが化粧品だけでは肌がよくならず、理学療法に興味を持つ。

 その後、24歳でパリへ渡りエステティックを学び、30歳で創業。40歳になるころにはサロンは数十店舗に増え、当時、成功の証とされた西新宿の高層ビル、新宿センタービルにも店を構えた。

体重は増え髪はボサボサ自分の姿にギョッと

「10年たってようやく基盤ができた。でもあるとき右腕だったスタッフに“あなたもそろそろ自分の店を持ちなさい”と言ったら、開口一番“嫌です”と言われて。“たかの院長は幸せそうには見えない。そうはなりたくない”と……」

 なりふり構わず必死で働き続けてきた。気づけば体重は増え、髪はボサボサ、通勤着は着古したニットに運動靴とおしゃれとはほど遠い。ショーウインドーに映った自分の姿を見てギョッとした。

「これまで何のために頑張ってきたんだと、なんだか悲しくなっちゃった。指輪のひとつでもはめてみようかと思って、ふらっと入った宝石店で小さなルビーの指輪を買ったんです。すると翌日みんなが“院長、ステキ! 私も欲しいです!”と言ってくれて。自分がキレイになれば周りも喜んでくれる、憧れてくれるんだと気づきました。だったら私が美しい女性の象徴になろう、それも必要なことなんだと考えるようになりました」

 美のために使うお金は惜しまない。

「お金の使い方はそれぞれですよね。『たかの友梨』の顔として自分をどう見せたらいいかを考え、私が行き着いたのが宝石だった。高価だったけれど、最高のものを身につけ、背伸びをすれば背が伸びる。そういう考え方でずっと生きてきたから」