また、人が増えると労働力の確保もしやすくなる。楽天やアマゾンなどの商品を発送する巨大物流倉庫を運営する、日本GLPや大和ハウス工業をはじめ、昨今は流山への企業の進出も活発化しているという。

「共働き世代に選ばれる街づくりと、そこで子育てができる環境を整えることは、少子化対策の両輪」と井崎市長が語るように、いかに戦略性をもって、グランドデザインを描くかが大事なのだ。

 実は、井崎市長の前職は、都市計画コンサルタントだった。'89年にアメリカから帰国すると、流山を移住先として選んだ。その理由を問うと、「都市計画コンサルタントとして、流山の未来に可能性を感じた」。そう井崎市長は微笑む。

 だが、当時の流山市は、つくばエクスプレスが開通するという楽観視からか、旧態依然とした市政が続いていた。居ても立ってもいられなくなった井崎市長は、'99年、無所属ながら流山市長選に立候補する─が、次点で落選。それからは、一層草の根で市民と対話を重ね、4年後の市長選で、見事に当選を果たした。

認知度の低さをチャンスに変えた「マーケティング課」

「当時の流山は認知度が低く、誰に聞いてもイメージは湧かないというものでした。しかし、私はチャンスだと思った。イメージが悪いと払拭することに時間がかかるが、“白紙”となるとこれから作り上げていける

 その言葉どおり、流山市役所には、日本の自治体で唯一の「マーケティング課」が存在する。一般的に、自治体がPR活動をする場合、観光課などがその任を担うわけだが、都市計画コンサルタントだった井崎市長は、「戦略的な経営感覚を持った市町村にならなければいけないと考え、そうした意識を持ってもらうためマーケティング課を創設した」と説明する。

「よく“子育てするなら流山市”と言われるのですが、そうではないんです。なぜ“母になるなら”と“父になるなら”にしたかというと、子どもを産み育て、母として父として充実した自分の人生を歩むことができる――流山市はそういう街を目指しているからです」

 人生のステージでは、単身者から夫婦へ、そしてパパママへという具合に、役割が変わっていく。だが、ママになっても、ひとりの人間、女性として、自分の人生は地続きでつながっている。

「子どもができると離職される方も多い。そのため流山市では、女性のための創業セミナーやスクールを開催。この7年で175人が卒業、45人が創業しました。子どもを産み育てると同時に、自己実現もできる。なので、“母”と“父”という言葉にこだわりを持っているんです」

流山市のイメージと知名度をアップし、ブランド化を推進するためのマーケティング課
流山市のイメージと知名度をアップし、ブランド化を推進するためのマーケティング課
【写真】「マーケティング課」を創設した井崎市長と流山市役所

 ひいてはそれが、「流山市に住んで良かった」というシビックプライドにつながり、流山市を盛り上げる力になる。まさに経営戦略である。

 では、こうした取り組みは他の自治体でも可能なのか? そう井崎市長に尋ねてみると、

「流山市はつくばエクスプレスが走っていて、東京に近いからできる、と思われがちです。しかし、ニセコ町や小布施町など、国内には独自の方法で地域経済を活性化させた成功例が少なくありません。それぞれの自治体に合った戦略があるはず

 そのうえで、「財政に余裕のある豊かな自治体はできるが、ない自治体はあきらめるしかない。そんなことがあってはならない」と付け加える。