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ー 元ジャニーズが語る「大野智との時間」

「ジュニア時代から、どんなに忙しくても絵を描いていました」

 そう語るのは、現在画家として活動中の元ジャニーズJr.の田中純弥さん(41)。

元ジャニーズが語る「大野智との時間」

「母親が出した履歴書がきっかけで、大阪城ホールにオーディションを受けに行き、14歳のときに事務所に入りました」

 アイドルに興味はなかったが、ある先輩の存在がジャニーズでの活動を続けるきっかけになった。

「入った当時は少しグレていて、見た目もやんちゃでしたが、中居(正広)くんは“おまえ、ヤンキーじゃん!”とかわいがってくれました。バラエティー番組でもよくイジってもらって。

 ジャニーさんに呼び出されて“YOUは僕の好みではないけど、中居が推してるからさ~”と言われて、その時期から仕事が増えていきましたね。中居くんがいなかったらもっと早くジャニーズをやめていたと思います」

 25年経った今でも鮮明に覚えているのは、ジャニー喜多川氏からの無茶ブリ。

「関西で仕事をしているときに“2時間後にテレビ朝日の『ミュージックステーション』に出て欲しいから、今すぐ東京に来て”と電話がきたことがあります。間に合わないことを伝えると“ダメなの? じゃあイイヨ”ってプチっと切られて(笑)。

 “YOUは何型?”と尋ねられて“A型です”と答えると“いや、O型でしょ”と言われて、それを否定すると“YOUはO型だよっ!!”と急に怒られたこともあります。いろいろと破天荒で面白い人でした」

 1日に何回もある公演をこなしながら、テレビやラジオの収録も行った。

「SMAPのバックダンサーについたり、自分たちの冠番組の関西テレビ系『なんじゃに!? 関ジャニ』やテレビ朝日系『8時だJ』などにも出演させてもらいました。特に印象に残っているのは、メインで出演した舞台『Kyo to Kyo』ですね。

 1日に5公演、1か月に150公演というスケジュールを2年間続けました。空いた時間にはテレビやラジオなどの収録をしていたので、事務所や楽屋に籠りきり。僕らは冷房がガンガンに効いた部屋の中で厚手の衣装を着ているのに、外の人たちは半袖を着ている。それを見て“外は暑いらしいぞ”と、当時一緒に舞台に出ていた大野智くんとはしゃいでいましたね。

 僕と大野くんは“99年に地球が滅亡する”というノストラダムスの予言を信じていたので“その前に辞めて、最後の1年間くらいは好きに遊びたいよね”と話していました。カラオケや買い物に2人でよく行きましたが“どうせ滅亡するから”と散財していた時期もあります(笑)。

 ジャニーズ時代は楽しかったけど、寝られないほど忙しくて、普通に学校に通っている周りの子が羨ましかったです。自分も自由になりたいと思って17歳のときに事務所を辞めました」

 季節を感じられないほどの多忙な生活を送りながらも、絵を描くことは欠かさなかった。

「10歳のときに絵のコンクールで総理大臣賞をもらってから、絵を描くことが好きになりました。大野くんも絵が好きだったので、美大出身だったメイクさんに、ペンの使い方や描くときのコツを一緒に教えてもらいました。“明日はこういう絵を描いてきて”と宿題をもらったりして、学校みたいでしたね。毎日ヘトヘトに疲れていましたが、2人でずっと楽屋で絵を描いていました。“一緒にデザインを勉強して、いつか画家になりたいね”と話したこともあります」

 当時の経験を経て、今は画家として活動している。

「自由になりたいと思ってジャニーズを辞めましたが、しばらくは何をしたらいいかわからなくて、同じ時期に事務所を辞めた仲間たちとバンドを組んで京都や東京で活動したり、飲食店の経営も始めました。それでも、絵はずっと好きで'12年に初めて自分のバーで個展を開いたんです。見に来てくれた百貨店の方から“うちでもぜひ個展をやってほしい”とオファーされて、それから画家としての活動が増えました。

 今は年に6回ほど個展を開いています。学校にあまり行けなかった代わりに、ジャニーズの仲間が僕にとっての同級生になりました。彼らとは今も仲が良く、そんな出会いをくれたジャニーズには感謝しています。ただ、あの頃の忙しかった経験から“好きなように生きたい”という思いは今も強くて(笑)。僕には野望はあまりなくて、これからも絵を描いたり、仲間と笑って生きていければいいなと思っています!」