秋篠宮さまが答えた佳子さまへの期待

 実は昨年11月、58歳の誕生日会見で、佳子さまの今後の活動への期待について尋ねられた秋篠宮さまは次のように答えている。

「(略)やはりいろいろなところから声をかけていただいているわけですし、それぞれの、主催している人たちにとっては大変大事な催しが多いわけですね。ですので、引き続き一つひとつ、声をかけていただいた仕事に対して真摯に取り組んでいってもらいたいと思っております」

2人目の孫となる佳子さまと初めて対面した上皇ご夫妻。うれしそうな眞子さんの姿も
2人目の孫となる佳子さまと初めて対面した上皇ご夫妻。うれしそうな眞子さんの姿も
【写真】学生時代の佳子さま、割れた腹筋が見える衣装でダンスを踊ることも

 29年前の発言とほぼ同じ内容で私は驚いた。秋篠宮さまの公的な活動に対する姿勢は若いころからブレることなく一貫している。この姿勢は子どもたちにも受け継がれているだろう。今、佳子さまに同じ質問を投げかけたとしたら、おそらく父と似たような答えが返ってくるに違いない。

 佳子さま出産後、天皇陛下と皇后雅子さまも紀子さまの見舞いのため宮内庁病院を訪れたことは先に述べた。陛下と光沢のあるオフホワイトのスーツ姿の皇后さまが病院を後にするとき、見送りは秋篠宮さま1人だけ。映像で見る限り、このとき記者たちとのやりとりはなく、2人は無言で車に乗り込んだ。眞子さんが跳びはね、明るく和やかな雰囲気だった上皇ご夫妻たちとは対照的な見送りの光景である。

 当時、結婚して1年半が過ぎたが両陛下に子どもはなく、長女の愛子さまが生まれる2001年12月1日まで待たねばならない。'65年11月30日の秋篠宮さま誕生を最後に、天皇になる資格を持つ男の子が生まれておらず、男子誕生が長年、多くの国民に待ち望まれていたと前回、この連載で記述した。佳子さまが生まれてもこうした状況は改善されなかった。秋篠宮さまに見送られる両陛下の静かな映像と重ね合わせながら私は、大きなプレッシャーがのしかかっていたのではあるまいかと当時の2人の心中を思いやった。

 29年前を動画で振り返ると、忘れかけていた思い出や記憶、感情などが意識の底から次々と浮かび上がってくる。

 そして、皇室の来し方や行く末について深く考えさせられた。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はフリージャーナリスト。著書に『秋篠宮』(小学館)、『美智子さまの気品』(主婦と生活社)など