昨年、故人となった徹さんの誕生日には、当人が好きだったマヨネーズをたっぷりかけたゆで卵と赤いウインナーを位牌の前に供えたという。

子育てやお金の使い方は意見が違った

夫はマヨラーだったんです。もう食事制限する必要もないから、我慢していた分、大好物をあげたくて。いや、赤いウインナーはたまたまスーパーで目に入って。しかもお徳用なんですけど(笑)。若いときにケンカしたことを思い出して懐かしくなったんです。主人は『おまえ、俺がいなくなってからのほうが優しいんだな』って絶対にびっくりしてますよ」

 繊細な徹さんと裏表のない郁恵さん。違う考えを持つからこそ、引かれ合っていたのだろう。ふたりは子育てやお金の使い方も意見が違った。

私は旅行に行くにしても、エコノミーの普通席でいいと思っちゃうんだけど(笑)。主人が『家族で楽しむなら贅沢しようよ』『俺たち、何のために働いているのよ。このときのためでしょ!』って。だから列車はグリーン車にしたり。飛行機に乗るんなら、せっかくだからファーストクラス、海外のホテルはスイートルームを利用していました」

 ふたりとも売れっ子だったため、渡辺家が全員そろうのはお正月ぐらい。子どもたちを連れて、日本の各地のお正月を楽しんだそう。

主人も私も仕事でいろんなところに行って、美味しいものを食べたり、いい景色を見たりするんだけど、今度は『家族にも見せてあげたい!』『食べさせてあげたい』って思うんですね。それに、子どもたちにいろんな経験をさせてあげたかったから、家族で出かける機会はとにかく多かったです

 徹さんが亡くなって1年余り。助けられていた部分や支えられていたことに、改めて気づくことが多いという。

「体調が優れず、つらいときも私たちに心配かけまいと、いつも明るくて。主人に頼っていた自分がいたんですよね。人間関係でもすごくまめ。『徹座(渡辺徹さんプロデュースのお笑いライブ)』や、家族3人で挑戦した『朗読劇』を継続できたのは、そんなまめさのおかげ。彼の“いいな”って思ったところは、まねしていきたいですね」

 昨年、夫の後を継ぎ、裕太さんと共に徹さんの故郷・茨城県古河市の観光大使に任命されたことも、徹さんがつないでくれた縁のひとつだ。

改めて考えてみると、まだ自分発信のものが何もない! いつも家族や周りに助けられていたから。ゆっくりしたペースでしか変われないけれど、主人を見習っていろんな人に気遣いができるようになりたい。自分らしく一歩ずつ進んでいきたいですね

取材・文/オフィス三銃士

さかきばら・いくえ 1959年、神奈川県生まれ。1976年に芸能界入り。デビュー後はアイドルとして人気を博し、その後舞台やテレビ、ラジオなどマルチに活躍する。3月下旬には舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』へカムバック予定。