1992年1月にスタートし、今年3月28日に最後の放送を終えた『福山雅治のオールナイトニッポン』。彼の“ライフワーク”ともいえる同番組は、フリーアナウンサー荘口彰久さんとの軽妙なかけ合いで深夜のリスナーをとりこにし、“魂ラジ”の愛称で親しまれた。そんな歴史の詰まった番組を一緒に作り上げてきた3人に特別インタビュー。“ましゃ”の表も裏も知り尽くす荘口さん、放送作家として番組を支えた小原信治さん、ディレクターの松岡敦司さんが語る、素顔の“ましゃ”とは——

 

■福山の誠実な人柄が垣間見えた場面

 最後の放送となった3月28日には、ニッポン放送本社前に3000人ものリスナーやファンが集まった。それでも番組は普段と変わらない雰囲気で進められたという。

松岡「社屋の正面にはレッドカーペットを敷いて特別な感じを出しましたけど、スタジオはいたっていつもどおり。違うところといえば、歴代のスタッフが聴けるように、スピーカーを置いて“パブリックリスニングスペース”を作ったくらいですかね」

小原「内輪であんまり感傷的になっても、聴いている方にとっては関係のないことのような気もしたんです。だから、“いつもどおりやろうよ”っていうのを意識しました」

荘口「本人の中でも“これで終わりじゃないんだ”っていうのがあったと思いますしね。“あまりにもサヨナラってなっちゃうと戻ってきにくいから”って感じでしたよ」

 番組終了後も、外ではたくさんのファンが福山が出てくるのを待っていた。最後の最後まで、彼はリスナーへの配慮を忘れない。

荘口「そのまま打ち上げを始めてしまうと、みなさんもずっと待ち続けることになってしまうと思ったんです。さすがにそれは申し訳ないと思ったので、福山さんにいったんご挨拶をしてもらうことにしました。挨拶後に、僕と福山さんがそれぞれ車に乗ってニッポン放送を後にしたんですが、実はすぐ近くで合流して2人でずっと車の中で缶ビールを飲んでたんですよ。福山さんは“何かつまみ欲しいよね”と言うので、僕が近くのコンビニまで走って柿ピーを買ってきたという(笑い)。ファンの方が帰ったタイミングで連絡をもらって、またニッポン放送まで戻ったんです」

 その後は朝まで打ち上げが行われたそうだが、サプライズゲストとして、はなわが登場。そこでも福山の誠実な人柄が垣間見える場面があった。

松岡「彼のヒット曲『佐賀県』を福山さんが気に入っていて、“魂ラジ”でも何度かかけていたんです。そんな縁で今回も来てくれたんです」

荘口「『佐賀県』のカップリングに『故郷』って曲があるんですが、この曲も福山さんは気に入っててね。はなわさんが『佐賀県』を歌って帰ろうとしたら、“あれも歌ってよ”ってリクエストするんですよ。彼も驚きながら演奏したんですが、福山さん最初から最後まで全部一緒に歌えるんです。歌手に好きですって言う人は多いですけど、本当に社交辞令じゃないんだなって」

■これからもトップを走り続けるんだ

4月8日に発売されたCD『魂リク』。『心の旅』から『チェリー』まで新旧織り交ぜた選曲で、オリコンでも1位を獲得した
4月8日に発売されたCD『魂リク』。『心の旅』から『チェリー』まで新旧織り交ぜた選曲で、オリコンでも1位を獲得した

 打ち上げではこんな挨拶もしたそう。

荘口「改めておっしゃっていたのは、“みんなからまた戻って来てほしいって言われるのはうれしいんだけど、数年たっても同じことを言ってもらえるような人間になっていないといけないと強く思いました”ということでした。これからもトップを走り続けるんだ、という決意のようなものを感じましたね」

翌週の土曜日、福山から荘口に電話があったという。

荘口「 “今からゴハン食べない?”と言われたんですが、仕事中だったので、“終わったタイミングで連絡します”とお伝えしたんです。“やっぱり寂しいのかな”なんて思いながら、深夜12時ごろに同席していた方に電話をしたら“もう帰っちゃいましたよ”って言われまして。なぜだろうと思ったら“自分の後に放送される番組を、ちゃんと生で聴きたいから”って言って帰ったらしいんです。“福山さんらしいな”って何だかほっこりしましたね」

 バトンを受けた歌手の高橋優と大倉忠義にも、福山は直接エールを送っていた。

松岡「高橋優クンがオンエアで言ってましたけど、初回放送の翌日に福山さんから“おはようございます。昨日はお疲れさま。大倉クンとのゴハン待ってるからね”って、ちゃんとメールが来たそうです」

 自分の後に番組を担当するプレッシャーを気遣ってのメールである。福山が出演しなくなっても“魂”はしっかりと受け継がれたはずだ。