上皇ご夫妻の初めてのブラジル
1967年5月、上皇ご夫妻(当時、皇太子ご夫妻)は、昭和天皇の名代として、初めてブラジルを訪れている。ご夫妻はペルーとアルゼンチンを回り、ブラジルに滞在した後、帰国した。羽田空港から日航特別機で出発するに際して、上皇さまは、前述のような要旨の、国民に向けたお言葉を発表している。
どの国でも熱烈な歓迎を受けたが、ブラジルのサンパウロでは、市内の競技場で歓迎大会が開催された。定員が約6万人のところ、8万人を超える人々が詰めかけた。
《大会場においでになったご夫妻は、まずオープンカーで場内を一周、ゴウゴウと地鳴りのようなどよめきで歓迎は早くも最高潮に達した》
《万歳三唱と同時に五色の風船一万五千個が放たれ、三千人以上のコーラス隊が“サクラ、サクラ”の合唱。それは、まるで遠い南米にいることを忘れさせる一時間だった》
このように、当時の新聞は伝えている。また、朝日新聞特派員は次のように南米訪問を振り返った。
《ご夫妻の訪問で、日系人には、それまで遠くにあった日本が、非常に近く感じられたという。とくに、二世、三世にとっては、父母の故国が東洋であると漠然としか思っていなかったものが、目のあたりにご夫妻を見て、強く日本人意識を感じ、また皇室というものの存在を初めて認識した者が多かったようだ》
ブラジル訪問などに出かける上皇ご夫妻を、天皇陛下と秋篠宮さまは、住まいの東京・元赤坂の東宮御所(当時)で見送った。このとき、天皇陛下は7歳、弟の秋篠宮さまは1歳半ほどで、小さいころから仲の良い二人だった。両親そろっての外国訪問は7回目で、7度目の留守番となった陛下は、初めて留守番をする秋篠宮さまの手を引いて見送った。
初めは、無邪気にはしゃいでいた秋篠宮さまだったが、両親が車に乗り込もうとすると、美智子さまのスカートにすがりついたり、背後から陛下に抱きとめられながら、「ママ、ウェーン」と、泣き出し、しまいには床に座り込んでしまったという。両親との23日間もの長い別れが、とても寂しかったのだろう。それは、幼い子どもたちと離れ、仕事に向かう両親も同じだったかもしれない。ご夫妻も車内から、何度も振り返りながら二人に手を振っていたと、新聞は報じている。

そして、'88年6月、今度は秋篠宮さまが、日本人のブラジル移住80周年記念式典出席などのため、ブラジルを訪れている。秋篠宮さまにとって初めての外国公式訪問先が、ブラジルだった。'15年秋、秋篠宮ご夫妻は、日本とブラジルの外交関係樹立120周年にあたり、ブラジルを公式訪問した。それから、10年後の今年6月上旬、次女・佳子さまがブラジルを公式訪問する。今年は、日本とブラジルの外交関係樹立130周年にあたり、ブラジル政府から招待されたもので、首都ブラジリアなど複数の都市を約2週間の予定で、訪れるものとみられる。
このように、佳子さまの祖父母である、上皇ご夫妻と両親の秋篠宮ご夫妻たちの長年の努力や苦労のうえに佳子さまの国際親善の舞台での活躍があることは、決して忘れてはならないだろう。
佳子さまのブラジル訪問が皇室の国際親善の歴史に新しいページを開くことを期待している。
<文/江森敬治>