野球界のトップスター選手となった大谷は、どんな家庭で成長してきたのか。
大谷の両親による子育ての決め事
「大谷選手も“ほとんど怒られた記憶がない”と話しているように、声を荒らげて怒らないようにしていたそうです。徹さんは大谷選手が小学生と中学生のときに所属していた野球チームでコーチを務めていました。そのためグラウンドで怒ることはあっても、親と子に戻った家で怒ることはなかったそうです」(スポーツライター)
怒らない教育をしてきた両親。子どもたちのためにも2人の間には、ある“決め事”があった。
「大谷選手の両親は“子どもの前では絶対に夫婦ゲンカをしない”と決めていたそうです。それは、子どもにとって家が居心地のいい場所であってほしいという思いから。その思いどおり、大谷家はリビングでの家族団らんの時間が多かったそうです。大谷選手には兄と姉がいますが、学校から帰ってくると、みんなでリビングでテレビを見たり、勉強するときも自然と集まっていたといいます。子ども部屋もあったのですが、ほとんど使わなかったようです」(スポーツライター)
そんな大谷家には家族仲の良さを表す“恒例行事”があって――。
「楽しい時間を共有するために一番大事にしていたことが食事の時間でした。子どものころは食が細かった大谷選手に、母の加代子さんは楽しく食事をしてほしいと工夫を凝らしていました。夕食は、徹さんが帰ってくるのを待ってから家族全員でワイワイと食べる。週末になるとホットプレートを囲んで食べることが多かったそう。家族みんなで料理をつつき合うことで自然と会話も増えたみたいです」(スポーツライター)
理想的ともいえる家庭で育った大谷が、どんな子育てをして、子どもがどう成長していくか楽しみなところ。

大谷が野球を始めたキッカケ
高身長アスリートの2人から生まれた子どもということもあり、ファンから将来を期待する声が上がる。現地メディアでも、
「将来的にWNBA(アメリカの女子プロバスケリーグ)のスーパースターになる可能性も大いにある」
と報じるところもあり、注目度は高いが……。
「大谷家には“やりたいことを楽しくやらせる”という考えがありました。大谷選手も幼いころからキャッチボールはしていましたが、本格的に野球を始めたのは、小学2年生のときに友達から誘われたのがきっかけ。徹さんも大谷選手に練習を強制したことはなく、いかに楽しくやらせるかを考えていたそう。大谷選手の娘の将来を期待する人も多いですが、両親の考えを引き継いで、娘のやりたいことを楽しめる環境を用意してあげると思います」(スポーツライター)
今年が10年契約の2年目。しばらくはアメリカでの育児になるが“自由の国”でノビノビ育っていきそうだ。