公共の施設である広場や公園にある“裸像”を撤去する動きが進んでいるという。
令和は裸像がNG?
「高松市内の公園に1989年に設置された2人の少女の裸像について地域の小学生から“見ていて恥ずかしくなる”という意見が。また同公園の再整備計画についての有識者会議でも“時代にそぐわない”という声が。市は8月下旬以降に撤去する方針だそうです」(全国紙社会部記者)
他の自治体でも同様の意見が相次いでおり、この動きは今後も増えていく見込みだ。SNS上でも賛否が巻き起こっている。
《どうして女性の裸ばっかり。撤去していいと思う》
《いよいよ芸術すらも批判する人が出る時代になりました。もうダメですわ》
「さまざまな意見がありますが、それはひとまず置いて、理由として“時代に合わない”は、そうとも言えないところがあります」
そう話すのは美術関係者。
「世界初の等身大の女性裸像は、『クニドスのアフロディーテ』という古代ギリシャの彫刻です。紀元前4世紀の作品といわれ、当時注文を受け制作した彫刻家が着衣版と裸体版を制作したところ、それまで等身大の裸像は存在しなかったため注文主は裸体版に驚き、激しい議論に。結果的に受け取りを拒否し、注文主とは別の者が購入しています」(前出・美術関係者、以下同)
今回の撤去について、芸術を理由に残すべきという人もいるが、当時から否定的な人もいたということだ。
「前出の裸体版は購入者によって屋外の神殿に設置。すると遠方からそれを見に来る人が大勢いて、ブームに。像は同地の信仰対象となりました」
また“初”については日本でも。
「日本で公共の場に初めて裸像が設置された際も否定的な意見、また裸体を公共の場に設置することへの説明責任などの議論が起こっています。昭和26年のことです」
ヌードはアートか否かは古くから議論がある。
「裸像については男性のほうの歴史が圧倒的に先。健康的な男性の身体は“美”だと。
“性”への意識から女性の裸像は避けられていた。そこに革新を起こしたのがクニドスの像。しかし、それが美と認められた後も、“そういう目”で見る者が一定数いたことは伝承にありますし、またそれは現代の作品に対しても同じでしょう」
同じく裸の小便小僧、そして日本を代表する像・二宮金次郎の今後はどうか。
「小便小僧はその愛嬌から性的な対象とは見られていませんでしたが、どうしても局部を露出していることから新規の設置はほぼなく、また老朽化の面もあり、撤去も進んでいます。
二宮金次郎についても老朽化、また児童が労働をしていること、歩きながらの勉強という面では同じような状況です。さらには全国各地で少子化から閉校が進んでいる事情も」(前出・社会部記者)
美か、わいせつか、それとも時代か。はたまた─。