厚生労働省の調査によると、65歳以上の高齢者のうち、認知症と診断された人は約462万人。この数字だけでも驚きだが、同調査では認知症になる可能性のあるMCI(軽度認知障害と呼ばれ、認知症予備群と診断される)が疑われる高齢者も約400万人いると報告された。

 合わせて約900万人。実に65歳以上の4人に1人が認知症と、その“予備軍”となる計算だ。だが、この数字に対して認知症専門医・長谷川嘉哉さんはこう語る。

「MCIの統計は推計にすぎず、今後、調査が進めば患者数はさらに増えるはず」

 毎月1000人の認知症患者を診察し、その家族と接する長谷川医師は、こう指摘する。

「専門医の立場からすると、MCIは運命の分かれ道です。そのまま認知症に進展してしまうのか。それとも1日も早く対応を開始して、ボケを遠ざけるのか。MCIは思考力や判断力の衰えは見られない状態です。

 また、必ず認知症に進展するわけでもありません。しかし、この時点で受診し、意欲をもって自分の力で脳を鍛えれば、認知症にならないですむ確率は確実に高まります」(長谷川医師)

 「親ゆび体操」は、長谷川医師が脳と指の密接な関係に着目し、認知症治療と脳リハビリの現場で開発した予防法で、いま注目を集めている。

「場所や時間を選ばず、イスに座ったままできるこの体操は、親ゆびを動かすだけで、脳を若返らせる効果があるのです」(長谷川医師)

■親ゆびを刺激することで脳が若返っていく仕組み

「週に1回でいいから、脳のリハビリに来てくださいね。薬だけで認知症はよくなるものではありませんよ」(長谷川医師)

 これは、長谷川医師が毎月1000人の診療時に繰り返し繰り返し、患者さんに伝えている言葉だそう。この脳リハビリの過程で開発されたのが、「親ゆび体操」だ。

「運動は、認知症の進行を遅らせるのに効果があると科学的に証明された唯一の方法です。理想をいえば、1日1時間程度の運動習慣が効果的ですが、中高年世代にとって毎日、これを続けるのは難しいもの。そこで、私は指に着目しました。なぜなら、作業療法士による5指を使う脳リハビリが、毎日1時間程度の運動習慣に匹敵するほど、脳にいい刺激を与える運動であるとわかってきたからです」(長谷川医師)

 その理由は下の2つの図にある。

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「左の『ホムンクルス人形』は脳神経外科医のワイルダー・ペンフィールドが描いた図を立体化したイラスト。脳の中で動作を指令する『運動野』と、感覚を感じ取る『感覚野』それぞれが身体のどの部分と密接につながっているかを示しています。

 注目してほしいのは5指と手のひらが占めている割合の大きさ。実に、大脳の約3分の1が指と手をコントロールするために使われています」(長谷川医師)

 結果、脳に対して影響力の強い比重で人間をつくると、手と口が大きなユーモラスな形状になる。

「なかでも私が親ゆびに注目したのは、人間の動作のほとんどが親ゆびを使ったときに意欲的になるからです。文字を書く、ボタンをはめる、ひもを結ぶ、本のページをめくる。いずれの動作も親ゆびがなければうまくできません」(長谷川医師)

 こういった動作ができるのは、哺乳類でも人間の親ゆびだけが内側に曲がる“鞍関節(あんかんせつ)”という関節を備えているから。

「だから、ほかの4本の指と向かい合わせることができ、親ゆびをぐるぐる回すこともできます。親ゆびは意欲をもった動作に欠くことができず、動かしたときに脳の運動野、感覚野を刺激します。その結果、血流がアップし、脳を若返らせる効果があるのです」(長谷川医師)

イラスト/高橋カオリ