わがままな会長に仕える"会長秘書"を演じる

老人病院で談笑する阿川さん父子。写真提供:文藝春秋
老人病院で談笑する阿川さん父子。写真提供:文藝春秋
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「父は結局、3年半、その病院でお世話になったんですが、病室で大腿骨を骨折し、最後の1年は寝たきりになって。ただ、頭はしっかりしているから、寝たきりとはいえ不自由な生活にイライラするんでしょうね。こっちの都合もおかまいなしに用事を言いつけたり、できないと断ると、"じゃ、俺はどうすりゃいいんだ"と不機嫌になる。結局、寝たきりになっても、父と娘の力関係は昔のまま。私のほうは、こんなに一生懸命に尽くしてるのに、報われない! とイライラするわけ」

 寝たきりの父もつらいが、介護する側も長期戦で疲れがたまってくる。

 いつもなら聞き流せる父の小言も、徐々に受け入れられなくなっていた。

「父のことも、母のことも、やってあげなきゃと思ってる。でも、精神的にも肉体的にも疲れがたまる。更年期も入ってるから、突然、ガーッと涙が流れ出して止まらない、みたいな時期もあったんです」

 それでも、あの阿川さんである。知恵とユーモアで折れかけた心を立て直した。

「以前、北杜夫さんの奥様から、ご主人を看病するとき、看護師長になり切って乗り越えた、と聞いた話を思い出し、よし、だったら私は、わがままな会長に仕える"会長秘書"を演じよう、と。そうすると、父、もとい会長が、"おい、玉ねぎが固い!"なんて文句を言っても、"あら、固うございましたか、それは失礼いたしました"なんてかわせる。父だと思うと腹が立つけど、他人だと思えば割り切れちゃう。そんな工夫もしましたね」

 会長秘書作戦だけでなく心の持ち方も意識的に変えた。"うしろめたさ"を持とうと。

「例えばね、やっととれた休日に、大好きなゴルフに行きたい。でも、母の様子を見に行かなくてはならないとします。そんなとき、"夕方まで仕事なの"と母に伝え、ゴルフに行っちゃう。それで、スカッと楽しんで母の家に戻ると母から"仕事、大変ねえ"と気遣われ、"うん、疲れちゃった"なんて答えながら、ものすごくうしろめたいわけ。でも、うしろめたさがあると、母に優しくできる。これ、浮気した夫が、妻に優しくするのと同じ心理」

父が真っ先に口にした母への気遣い

 きょうだい(弟2人は海外赴任中)とは密にメールでやりとりし、経過報告と業務連絡を欠かさず。ご近所や親戚で、手を貸すと申し出てくれる人は、すぐさま"お頼みリスト"に記入。いざというときに頼める人材を確保して、心のお守りにした。

 ひとりで抱え込まない。ガス抜きをする。おもしろがる─。そうやって、自分を見失わないことで、"いつもの娘"として、老親と向き合えた。

 そんな日々の中、父の新たな一面も発見できたという。

「個室に本棚を持ち込み、父は文庫本を読んで過ごしていたんですが、私と母が見舞いに行くと、"おお、来たか"と顔をほころばせてね。真っ先に口にするのが、"お前は大丈夫か"という母への気遣いなの。帰り際、母の手を握って離さないこともありました。癇癪(かんしゃく)持ちで、気難しい父だから、母も苦労したけど、父は母のことがこんなにも好きだったのかと驚きました」

 亡くなる前日も、いつものように差し入れを持参すると、薄く切ったローストビーフ3枚をぺろりと平らげ、阿川さんが作った、とうもろこしの天ぷらを、"まずい!"とティッシュに吐き出したと笑う。

「だから、父の最期の言葉は、"まずい!"。父らしいでしょ」

美術館で偶然出会った、心がラクになる死生観

阿川佐和子さんと父・弘之氏。ハワイのレストランで
阿川佐和子さんと父・弘之氏。ハワイのレストランで

 翌日、2015年8月3日、病院から連絡があり、仕事を終えて駆けつけると、父はすでに息を引き取っていた。手を握るとまだ温かく、最期を看取った兄によると、「眠るように逝った」という。

 医師には、「死因は老衰。立派な大往生です」と褒められた。その言葉に、しっかり生き抜いた父を誇らしく思う一方、心残りもあったという。

「ひざの手術で入院中の母を、最期に会わせられなかったこと。それに、父を家に帰らせてやれなかったことも。寝たきりになってからも、父は文句も言わず、まじめにリハビリに取り組んでいたそうです。いつか家に戻るという希望を捨てていなかったからかもしれない。叶えてあげたかった。でも、現実的には難しかったですね」

 父が亡くなったあとで、何人かの友人に、「父親の死って、あとからじわじわ来るものよ」と脅されたが、1年が過ぎた今も、「まったく来ない」と微笑む。

 そこには、阿川さんの死生観も関係しているようだ。

「以前、ある美術館で南米の文明に触れたとき、"これ、気に入った!"と思える死生観に出会えたのね」

 それは、生きている世界と、死んだあとの世界は、1本の境界線をはさんで続いているというもの。

「境界線を越えるとき、ちょっと痛いんだって。でも、"イテッ"って一瞬、我慢して先の世界に入ると、"あら、ここにいたの"と亡き人と再会できる。真実は確かめようがないけど、大切な人を亡くしても、また会えると考えられれば心がラクになるでしょ。

 だけど、父とあっちで会うのは面倒くさそうだなあ。"あれ持って来たか!""なんだと、忘れたのか!"って叱られそうだし。"強父論、読んだぞ! ロクな本じゃなかった"とかね(笑)」