芸能 2025/7/5 作詞家・売野雅勇「歌詞が降りてきたことはない」少女A、涙のリクエスト…80年代の音楽シーンを牽引した革命児の“原点” 作詞家文化人アーティスト人間ドキュメント 印刷 [写真 1/12枚目] 作詞家・売野雅勇(撮影/山田智絵) [写真 2/12枚目] 作曲家の筒美京平(中央)とアフリカ旅行をしたときのカット。ホテル『ケニア・サファリ・クラブ』の前で [写真 3/12枚目] 幼少期、父親と。 [写真 4/12枚目] 足利第一中学校時代、市の大会で陸上部が優勝したときのカット。前列右側が2000メートル走の選手として出場した売野 [写真 5/12枚目] 上智大学ではアメリカンフットボール部に入り、汗を流した(後列の左) [写真 6/12枚目] コピーライターとして業界を渡り歩いていたころ [写真 7/12枚目] '23年、売野の40周年コンサートのとき、楽屋で藤井フミヤ(左から2番目)、藤井尚之(右)、“売芹”コンビの芹澤廣明(右から2番目)と [写真 8/12枚目] 売野が“こんな人になりたい”と憧れていた、映画・音楽の評論家である今野雄二さんと [写真 9/12枚目] 売野が作詞家になりたてのころ、美空ひばりさんの『悲しい酒』などの作詞家、石本美由起さんと神楽坂の料亭にて [写真 10/12枚目] 歌手が歌うことで自身の作った歌詞がより輝くことがうれしい、と作詞家としての思いを語る [写真 11/12枚目] “アニキ”と慕う北原照久との出会いは'18年8月2日。毎年この日を2人で祝っているという [写真 12/12枚目] 「何でも話しますよ」と、柔和な笑顔で話す内容は、まさに'80年代の音楽シーンのエピソードがあふれている(撮影/山田智絵) この写真の記事へ戻る