デビューして間もなかったから、マネージャーや母親など周囲には猛反対されましたね。週刊誌の担当記者にも“仕事がなくなるぞ”と忠告されたし、当時1万人いたファンクラブ会員も一気に1800人まで減りました(笑)。

 当時は、結婚するだけで批判を受ける時代。“裏切り者雅俊”と報じたスポーツ紙は今でも持っています(笑)

 そんな時代を感じさせるエピソードも、笑って披露してくれた。

「大きな決断をするときって、どっちの道を選んでも少なからず後悔はする。だったら困難は待ち構えているかもしれないけど、自分が心からやりたいほうを選んだほうが、長い目で見たら後悔しないんじゃないかな。松下幸之助の《失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる》という名言どおり、どんなことでも乗り越えさえすれば失敗じゃない。そう思えば気が楽ですよね」

 長年、芸能界の一線で活躍してきた彼が言うと妙に説得力がある。

東日本大震災で歌への思いも変化

 近年の中村の活動を語るうえで避けて通れないのが、6年前に起こった東日本大震災だろう。地元である女川町も甚大な被害を受けたが、そのことで歌への思いも変化したという。

「女川って町は小さな港町だから、もっと広い世界を見たいと思って、高校卒業後に町を出たんです。だけど震災後は、俺は女川の人間だから支えていかなきゃダメだって地元意識が強くなりました。

 微力ですけど、俺にできることがあるなら……と、できる限り被災地に足を運んでいるのですが、行くたびに音楽が持つ力を再確認させられます。大学時代に作って、2枚目のアルバムにも収録されている『私の町』という女川を歌った曲を歌うと、みなさん泣いて喜んでくれるんですよね。俺が役者1本だったり、『ふれあい』だけの一発屋だったらこうして多くの方とふれあえなかったはず。だから歌を続けてこられて、幸運な男だなって思います

9月13日発売のシングル『どこへ時が流れても/まだ僕にできることがあるだろう』(日本コロムビア)※記事の中で画像をクリックするとamazonの紹介ページに移動します
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 最新シングル『どこへ時が流れても/まだ僕にできることがあるだろう』は、そんな活動の中から生まれた中村なりの大人のための応援ソング。

「大々的にアピールするメッセージソングではないですけど、この曲から何かを感じてもらえれば。最近は配信だったり、歌の届けかたも複雑になってきていますが、なるべく多くの人たちに聴いてもらいたいですね。今は俺を知らない人もいるだろうし、俺を知っている世代には、歌っている姿を見て“中村、まだ頑張っているんだな”って思ってもらえたらうれしいです

<Information>

中村雅俊コンサートツアー2017~2018「ON and ON」を開催。1500ステージ突破記念公演12月2日(土)東京・中野サンプラザホールほか。舞台『ミッドナイト・イン・バリ~史上最悪の結婚前夜~』が9月15日~29日まで、東京・日比谷シアタークリエで上演される。