“ミスター”の愛称で親しまれた長嶋茂雄さんがこの世を去って、まもなく1年がたつ。
「長嶋さんは1958年に読売ジャイアンツに入団。明るい人柄とチャンスに強い4番打者として活躍し、たちまち国民的スター選手に。現役引退後も2度にわたり巨人軍の監督を務め、球界を盛り上げました」(スポーツ紙記者、以下同)
しかし2004年3月。アテネ五輪の日本代表監督として采配を振るうことが決まっていた矢先に、脳梗塞を発症してしまう。
「一命は取り留めたものの、右半身に麻痺が残りました。それでも長嶋さんは懸命なリハビリを続け、野球の試合に姿を見せるなど球界の盛り上げに貢献していましたが、2025年6月、肺炎によりこの世を去りました」
長嶋さんが現役時代から晩年まで過ごした東京の田園調布では、今も思い出が語り継がれている。同じ町内にある和食店「おのだ」の店主はこう語る。
「長嶋さんは、『おのだ』の隣にある焼き鳥店『鳥鍈』の初代店主だった私の祖父と親友だったんです。それで現役時代から祖父の店に通っていました。1998年に、私の父が和食中心のこの店を開いてからは、こちらにも通ってくれるようになりました」
「おのだ」を頻繁に訪れては、好物のフグ刺しやカツ丼を食べていたという長嶋さん。プライベートでも変わらずの“ミスター”ぶりだったそう。
「店がどう見ても満席でも“座れますか?”と言いながら入ってきて、他のお客さんが空けてくれた少しのスペースに身体をねじ込むようにして食事をしていました。その後に、隣の『鳥鍈』にも顔を出して、カウンターをぐるっと回るファンサービスをしてくれました」(「おのだ」店主、以下同)
長嶋さんの“忘れられない注文”
2004年以降は、店から自宅へ出前を届けることが増えたが、忘れられない注文があったという。
「2021年、東京五輪の聖火ランナーを務める直前に、長嶋さんからカツ丼と刺し盛りを頼まれて届けに行きました。それまで生魚を頼まれたことはあまりなかったので、栄養をつけようとしていたのかもしれません」
店主は、闘病を続けながらも表舞台に立ち続けた長嶋さんの思いをこう見る。
「いつも長嶋さんは、あのまんまで笑顔の裏側を見せることはありませんでした。むしろ努力する姿を見せるようになったのは、脳梗塞以降。きっと同じ病気で苦しむ人たちを勇気づけたかったのだと思います」
長嶋さんが亡くなった後も、店にはスポーツ関係者やアナウンサーらが足を運ぶという。
「今も常連さんと、長嶋さんの話で盛り上がります。本当に周囲を明るく照らす太陽のような人でした」
長嶋さんは人々の記憶の中で、永久不滅の輝きを放って生き続けていた─。






















