あの人懐っこい笑顔はもう見られない。学習院大学名誉教授の篠沢秀夫さんが、10月26日に84歳で亡くなった。

「昨年8月に入院し、今年になっても入退院を繰り返していました。9月に回復の兆しがあったんですが、10月に入って体調が悪化したようですね。最期は安らかだったそうです」(スポーツ紙記者)

 '01年に大腸がんが見つかって手術。経過はよかったが、'09年にALS(筋萎縮性側索硬化症)が発覚した。

「全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病で、妻の礼子さんに支えられて執筆や講演の活動を続けていました」(前出・スポーツ紙記者)

 篠沢さんはフランス文学の研究者だったが、一般的には『クイズダービー』(TBS系)の名物回答者だった印象が強い。

「視聴率が40%を超えたこともある、大橋巨泉さんが司会のお化け番組でした。篠沢さんは大学教授なのに珍回答を連発して人気者に。

 どんな難問にも正解する漫画家のはらたいらさん、“3択の女王”と呼ばれた竹下景子さんとのギャップがウケたんです。最終問題で逆転を狙うチームが“篠沢教授に全部!”というフレーズは流行語になりました」(テレビ誌ライター)

 篠沢さんは、“私みたいな高学歴の人間が珍回答をすると面白いかも”と思って出演を引き受けたのだという。“教授”の愛称で親しまれ、街でも飾らない人柄だった。

あるとき声をかけたら、サンダルが左右違ってたんです。教えてあげたら、“間違えちゃったよ。でも今さら面倒くさいから、このままでいいや”とニコニコして行ってしまいました。本当に天然で、テレビで見たとおりの方でしたね」(近所に住む女性)

 近所の美味しい店を食べ歩くのが好きだったそうで、病気で身体の自由がきかなくなってからは、礼子さんに連れられて外出していた。

夫のなきがらを迎えに行き、自宅前で会見を行った妻の礼子さん。気丈に振る舞っていた
夫のなきがらを迎えに行き、自宅前で会見を行った妻の礼子さん。気丈に振る舞っていた

「よくお見かけしたのは、駅に直結したショッピングセンターです。買い物をするわけではなくて、上の階へ行って景色を見ていましたよ」(目撃した男性)

 ビルの4階からは、人や車の流れとともに目白方面の景色が一望できる。

背もたれを倒して、寝ているような体勢で外を見ていました。視線の先には、長い間教授を務めた学習院大学が。身体が動かなくなってもやはり長年勤務した母校は忘れられなかったんでしょうね」(前出・目撃した男性)

 篠沢さんにとっては、この場所が大好きな景色の見える“定位置”だったのかもしれない。

「主人は、羨む、恨む、怒るということをしないで、自然のままに病気を受け入れて、平常心でいつもニコニコしていました」

 礼子さんは9年にわたる闘病生活を振り返り、いつも穏やかだった夫を偲んだ。

 学問を楽しみ、人々を楽しませた素敵な人生だった。