スケートコーチをしながらテレビなどでも活躍中の岡崎朋美

 5大会連続で五輪に出場、'98年の長野ではスピードスケート女子500メートルで銅メダルに輝いた岡崎朋美。当時26歳の自分を振り返り、

「顔が丸いですね(笑)。ただ、よく盛り上げたなっていう安堵感はありました」

 そのときは“もうピークなのかな”と思っていたそうだが、8年後にも大チャンスが訪れた。

「'02年ソルトレークの2年前にヘルニアの手術をしたんですが、'06年トリノのころは痛みもあまりなくて調子がよく、500メートルの1本目は3位につけたんです。でも、2本目はメンタル面なのか、足が重たくなってしまって逆転され、4位になりました。やはり、オリンピックの魔物が現れたのかなという感じはありましたね」

 出場経験を重ねても魔物からは逃れられないということだろうか。

 過去5回出場の『五輪マスター』である彼女に選手の恋愛事情について聞いてみると、

「冬の競技は、みんなまじめかな。男女2人で出かけていて、これはお付き合いしているなという人はいましたね。名前は言えませんが(笑) 」

 そんな彼女も美人で鳴らし、海外でも人気があったが、'07年に一般男性と結婚して出産、'11年秋に復帰した。

「子どもを施設に預けることをすすめられましたが、働くお母さんみたいにやりたいなと思っていたので、手元に置いて育てました。さすがに、シーズン中の遠征に出るときはお互いの両親に協力してもらいましたけどね」

 '13年のジャパンカップでは優勝したものの、'14年ソチ五輪には出場できず、引退した。

パワー系の競技なので、ご飯をたくさん食べないといい筋肉がつかないんです。私は母乳で育児をしていたので、栄養分を吸い取られてしまったのか、筋肉がなかなか戻らなかった。

 スケートでは、子どもを産んで戻した人はいないので、試行錯誤してやっていた感じですね。でも、選考会までの時間が足りず、ソチには行けなかった。いま思うと、まだまだできることはあったと思うのですが……」

 今回、スピード女子は史上最強レベルといわれるが、

「自分の舞台だよ、と思ってやれればと思います。今の自分ができることをそのまま出せれば喜びにも変わります」

 岡崎いわく、メダル量産へのカギは“オリンピックに飲まれないこと”だとか。