息子の異変、夫のモラハラ

 結婚したのは’98年、35歳のときだ。知人に紹介された6歳上の夫は大手企業に勤める会社員。お互いに本が好きで、話が弾んだ。夫の転勤で青森県に転居。2002年に息子の慶君が生まれた。

 何かおかしいと感じ始めたのは、ほかの子どもと触れ合うようになってからだ。

「ずっと笑顔のまま、よその子に近づいていって突き飛ばすんですよ。何かされた仕返しというわけでもなく、一方的に押し倒すから、周りの親にも言い訳しようがない。砂場に行けば、よその子に砂をかけるし。誰もいない公園を探して歩きました」

 再び、転勤で盛岡市に来ると、広い公園が少なく、遊び場所にも困った。

 スーパーに買い物に連れて行くと、すぐに脱走する。探すのをあきらめて、しばらく待っていると、どこからか悲鳴が聞こえてくる。走って行くと、人の輪の中心に慶君がいた。売り場に並んだ豚ひき肉のパックに指を突っ込んで、何のためらいもなく口に入れたこともある。

 4歳のときに専門の病院を受診し、ADHDと診断された。医師に「薬を飲ませないと迷子になって死ぬかもしれませんよ」と言われ、5歳になる少し前から多動を抑える薬を飲ませ始めた。

「よく事情を知らない人に、“親がちゃんと見ていないから”とか言われるけど、それができないから病気なんです。人間って、自分が経験していないことは、わからないものなんだなと思いました」

 それは夫も、例外ではなかった。一日じゅう一緒にいる母親と違って、調子のいいところだけ見て、障害ではないと言い張る。

「男親にとって息子は自分の分身だから、息子が発達障害だと言われると、自分を否定されたような気がして、傷つくんじゃないですか。絶対に認めなかったですね」

 障害への無理解が離婚の原因かと思いきや、理由はもっと深刻だった。

 モラルハラスメント、つまり言葉による精神的な暴力がひどかったそうだ。

「お姑さんですら止めるくらい、夫は1度、暴言を吐きだすと止まらなくなるんですね。突然、機嫌が悪くなるので、自分が何か怒らせるようなことを言ってしまったと思うわけですよ。本当はそうではなく、私が何を言っても気に入らないんだと、今ならわかるんですが」

 盛岡市の無料相談に行くと弁護士に「モラハラの場合、離婚に時間がかかるから、まず別居して既成事実を作りなさい」と助言され、すぐに実行に移した。

「離婚しようと決めてからは全然、迷いもなく、われながら、やるときはやるなーと思いました」

 ひとりで子育てするなら実家に戻ったほうが楽だよと友人にすすめられたが、慶君のために、病院や教育環境の整った盛岡市にとどまった。近くに障害児でも24時間預かってくれるNPO法人があり、たびたび助けてもらった。

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 初めて大食いの大会に出たのは’06年。郷土料理のわんこそばを食べる大会に出て、15分で289杯食べて、あっさり準優勝した。

 なぜ、いきなり大食いに挑んだのか。

 もしかして、離婚や子育ての不安を紛らわすためだったのかと思ったが、「全く別です」と即答。しばらく考えて、こう答えた。

「岩手に住んでいても、わんこそばを食べたことない人って、結構多いんですよ。私もそのひとりですが、好奇心があったんです。もともとやったことがないことにチャレンジするのが好きなんですよ」

 弟の及川喜之さん(51)によると、菅原さんは子どものころから、いろいろなことに興味を持っていたそうだ。

「姉はわりとマイブームが来る人なんです。小学生のころは、クッキーやパン作りにハマっていました。クッキーはちょっと生焼けな感じで全然、美味しいと思わなかったんですが(笑)、家にはオヤツらしいオヤツがなかったので、文句も言わずに食べてましたよ。

 急にペットショップでシャム猫を買ってきたこともあります。お年玉とか貯めていたみたいですが、ビックリしましたよ。そんな突飛なことをするところは、家族の誰にも似てませんね」