白石さんは、これまでの数多くの作品でも、小説を通して、根源的な問いを投げかけてきた。ときには、運命、直感、シンクロニシティーなどスピリチュアルな要素も取り入れながら。

 読者は、主人公の姿を追いかけ、その思考や思索に付き合いながら、いつの間にか自分と対峙(たいじ)させられていることに気づく。

 ただし、今回の作品では、読者に立ち止まって考えることは許されない。明らかになっていく秘密と怒濤(どとう)の展開に、ページをめくる手が止められないのだ。

僕は、もともと面倒くさい小説を書いてきたわけですが、今回の作品では、理屈っぽさやスピリチュアルな表現を封印しています。どんどん読み進められる娯楽小説を書きたかったんです。本来ありえない設定を決して荒唐無稽に見せないために、現実味を最優先しました。今までとは違う筋肉を使って作品を書き上げた感じです」

白石一文さん 撮影/北村史成
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博多と金沢を舞台に展開するストーリー

 作品の舞台は、博多と金沢。特に金沢には、風景や街の雰囲気、食べものに魅せられ、何度も足を運んで取材を重ねたそうだ。

「金沢は、東京から行くと唖然(あぜん)とするほど小さい街でした。博多にもある地下鉄が、金沢にはありません。でも、食べものが驚くほどおいしい。東京の人たちが、かわいそうだなって思うぐらい。気づいたら、食べものが出てくる場面が多くなっていましたね

 登場するのり巻き屋さんは、金沢市内に実際にあった人気店「ちくは寿し」がモデルになっているという。

「ガイドブックで見つけたお店でしたが、メニューが豊富で、安くて本当においしいの! 残念なことに、40代のご主人が亡くなったため、取材している間に閉店してしまいました。が、再開したら絶対に大繁盛すると思いますね」

 村上春樹作品に音楽の登場がお約束であるように、白石作品においてのそれは食べものだ。たとえインスタントラーメンでも、その描写に食欲がそそられる。

作家はみんなそうだと思うけれど、セックス描写を書くのが大好きで、舌なめずりしながら書くんですよね。性欲と同じように、食欲もプリミティブな欲望だから、読者にとっても刺激になる。他の人が書いた小説を読んでいても、食べものの描写が出てくると、俄然(がぜん)、惹きつけられてしまうんですよ」