「亡くなる前日も近所の割烹料理店で、ご夫婦でお食事されていました。お元気だっただけに、本当にびっくりですよ」(近所の主婦)

 虚血性心不全のため、自宅で急逝した生田悦子さん。16歳で福岡から単身で上京して、モデルとして芸能界入り。3年後には松竹に入社し、女優デビューを果たす。そのきっかけが母であったことを、彼女は生前に週刊女性に語っていた。

母に売られても同じお墓に

「高校1年生のときに、母から“青山学院に入れてあげるから”って言われて、ボストンバッグひとつだけ持たされて東京へ向かう夜汽車にひとりで乗せられたのよ。そうしたら、東京駅では銀座のクラブ経営者のご夫婦が待っていたの。つまり、私は母に売られたわけね」

 すきを見て逃げ出し、知り合いのテレビ局プロデューサーを頼って芸能界入り。女優としてブレイクしたあとも、母は彼女の足を引っ張った。

「私が人気絶頂のときに、母が妻子ある男性と心中未遂を起こしたの。連日ワイドショーや週刊誌で大騒ぎ。仕事はすべてキャンセルになるし、1年間は復帰できなかった。でも、母を憎むことはできなかったの……」(生田さん)

 そんな生田さんは現在、母と一緒に故郷の福岡県福岡市にある徳栄寺に眠っている。

モデルとして活躍していたころの母とのツーショット('66年)

「四十九日法要は都内の自宅で行い、その翌日に納骨のため福岡に行きました。飛行機の中では、妻の骨壺を抱いて向かうわけですが、妻との思い出があふれてきて、涙が止まりませんでした……」

 そう話すのは、生田さんの夫である会社経営者のA氏。13年間の結婚生活が突然終わってしまった寂しさを癒せずにいる。

「亡くなって3か月ほどは、突然だったのでショックが大きく、本当に亡くなった感じがしなかった。でも、先月くらいからじわじわと“妻がいないんだ”という寂しさがこみ上げて……。休日は、本当に心にポッカリ穴があいた感じになってますね」(A氏)

 いまだに部屋は生田さんがいたころのまま。まったく手をつけられずにいるという。

「故郷の福岡に頻繁に帰っていたわけじゃないんですよ。でも、結婚してすぐに妻から“私が死んだら母と一緒のお墓に入れてほしい”って言われ永代供養のお金は支払っていました。

 母にはあれだけ苦しめられたのに、やっぱり心から愛していたんですね。私も妻が眠る墓に入りたいと思っているんです」(A氏)

『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)で、映画女優がバラエティー番組に出演するはしりとなった生田さん。

 幅広い交友があった彼女だけに、天国ではさまざまな人たちを母に紹介しているに違いない─。