子どもは、親と接する中で、人との距離感や常識、自己抑制というものを学びとる。

子どもにとって、親から愛情を受けることは大切です。自分を愛してくれる親を大切に思うからこそ、自分の願望だけで考えてはダメだと理解できるのです。

 例えば5つしかないから揚げをひとり占めしてしまえば親のおかずがなくなってしまうので“親の分を残そう”と思えるでしょう。ところが放置子は愛情を受けることなく、かまってもらえないまま育つため、“相手の都合と自分の希望の兼ね合いを読む”学習機会がもてない。それがこうした子特有の距離感のなさの原因です」(深谷准教授)

放置子はなぜ増加したのか

 こんな放置子たちが生み出された背景には、子どもを放置せざるをえない社会構造の変化がある。

 1980(昭和55)年には全体の3分の1にすぎなかった共働き家庭は'97(平成9)年に逆転し、以降は共働きが多数派となった。

 さらには、ひとり親家庭も急増。母子家庭にいたっては1983(昭和58)年に71万8000世帯だったのに対し、2016(平成28)年には123万2000世帯とおよそ1・8倍に増えている。 

 核家族化も顕著で、'16(平成28)年の核家族3023万世帯に対し、祖父母がいる3世代世帯は295万世帯と1割にも満たなくなっているのだ。

 社会そのものが“学校から帰った子どもがひとりで放置されやすい”環境となっているのだ。

 とはいえ、放置子は女性の社会進出や社会への共同参画の徒花というわけではなく、いつの時代も一定数は存在していたという。

 1980年代ぐらいまでは、子どもたちは学校から帰るやいなや、ランドセルを放り出して遊び回ったものだった。

 そんな時代背景の中、放置子もともに遊び、ときには晩ごはんのお相伴にあずかったり、近所の世話焼きおばさんから“お母さんが仕事でいないのなら、帰ってくるまでウチにいなさい”と保護されることも多かった。

 同じネグレクト状態にあっても、コミュニティー全体が役割を分担しつつ、親に代わって見守る体制があったのだ。

「ところがいまは、子どもの放課後の時間は親が各自で管理する時代です。学童保育に行かせるとか、お稽古ごとに行かせるとかですね。経済的理由や親の無関心でその枠からはずれると、行くところがなくなって目立ってしまう。

 放置子は実は昔から存在したんです。だが受け止める体制があったから目立たなかった。ところが今は体制がない。だから、かすかでも居場所があるとついしがみついてしまう。それがネット上で語られているのです」(深谷准教授)