相撲道をご存じですか?

 そしてコンプライアンス規定に反するというのが、大いなる疑問だ。

 コンプライアンスとは日本語にすると「法令順守」である。では、この場合の法令とはいかに? と思えば「土俵上の礼儀、作法を欠くなど、相撲道の伝統と秩序を損なう行為」というじゃないか。

 すみません、ご覧になってます? 優勝インタビューって土俵の上じゃないですよね? 土俵の下で、NHKのアナウンサーによって会場にいる人たちおよびテレビを見ている人たちに向けてのサービス(これも興行の一環と言おうか)で行われているもので、じゃ、そこで三本締めをさせてしまったNHKのアナウンサーも礼儀を欠かせたとして出入り禁止にさせるんですか?

 そしてコンプライアンス委員の方々に問いたいのは、相撲道とはなんですか? ご存じですか? である。

 相撲道という言葉が言われるようになったのは、相撲を行う常設館が建てられた明治42年に、そこに国技館と名付けられたことに始まる。国技館で行われる国技相撲であるから、力士はそれにふさわしくないといけない! とメディア(新聞)が書きたて、それがエスカレート、やがて武士道の一種のように相撲道が言われるようになる。

 そして昭和に入ると、当時の国策として相撲道という言葉はどんどん大きくなっていく。昭和13年に出版された『四股を踏んで国策へ』(後に『相撲道の復活と国策』に改題)という本で当時の相撲道の概念がよくわかる。

 この本は冒頭で「教育勅語、徴兵ノ詔、軍人勅諭、天照大神天孫降臨ノ神勅」などをかかげ、一貫して「日本精神」論を説き、日本民族の優秀性を説いて「国民総動員」を推奨する、当時の戦争一直線の国策に沿った本である。

 そこで「相撲道」の振興が言われ、「相撲は純然たる武技である」「相撲人は力士と称する武士である」として、見る側にも「真剣之礼」を求めた。相撲とは試合の勝敗よりも試合に至るまでの修行で、勝利に対する禁欲と謙譲が要求されていたと、相撲研究をする東大法学部教授である新田一郎が「相撲の歴史」(山川出版社)で書いている。

 誤解なきよう言えば、私は相撲道のすべてを否定はしない。礼に始まり礼に終わり、勝ち負けよりもそこまで努力することが大事だよ、という概念の相撲道で、それが鷹揚に使われるのであればいいだろう。

 大相撲の世界は強いばかりがいいわけでも、勝つことだけがすべてではない面白さがあるのはとても納得するし、例えば競技会で負けてしまった子ども力士に「がんばって練習してきたんだから、負けてもいいんだよ」と頭をなでてあげる優しさとしてなら、それはいい。