「どこの馬の骨かわからない人間に協力はできないと言われて、“馬の骨”という言葉を本当に使う人がいるんだなって、驚きましたね」

 そう話すのは、NPO法人『atamista』代表理事の市来広一郎さん。さびれた温泉街としてくすぶっていた熱海を再びよみがえらせた立役者だ。

「友人を熱海に連れてきた際に、“まるで廃墟だね”と言われたことが忘れられなかった」

「まずは内部から」が理解されない

 1960年代半ば、500万人を超えていた熱海の宿泊客数はバブル崩壊に伴い、およそ半分にまで急減。駅前は廃れ、海沿いの宿泊施設の明かりも乏しくなる一方……。その姿を変えたいと2007年、市来さんは28歳のときに離職し、東京から熱海に戻ることを決意した。

 だが、Uターンしたものの再興へつながるツテはない。まず、市来さんが手がけたのが、熱海の街や人を紹介するウェブマガジン。

「地元民の暮らしが第一で、観光はその次」と話す市来さん。移住者が増えているのも納得
「地元民の暮らしが第一で、観光はその次」と話す市来さん。移住者が増えているのも納得

「昼に取材をし、夜は塾講師として生活するというのが3年ほど続きました」

 と、苦笑いしながら当時を振り返る。

「地元に活気を取り戻すには、熱海に暮らす住民が盛り上がらなければいけません。外部の観光客を誘致するのではなく、まずは内部である地元から熱を生み出す必要があります。ところが、そのことを説明してもなかなか理解してもらえなかった」

 観光客が増えなければお金にならない──。団体客など観光客で潤ってきた昔気質の熱海の人の中には、市来さんの考えに賛同できない人も多かった。