軽井沢のあとの草津では音楽祭の「ワークショップ」でピアノを披露される
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バイオリニスト・黒沼ユリ子さん

 当時メキシコに住んでいた私が、両陛下と初めてお会いしたのは'64年のことです。

 この2年前、国賓として訪日したメキシコのロペスマテオス大統領(当時)から招待された昭和天皇のご名代として、メキシコにいらっしゃったのです。

 その少し前に、駐メキシコの日本大使から「妃殿下は、音楽に造詣が深いお方です。何かいいアイデアはないでしょうか」と、相談を受けました。そこで「両国の曲によるコンサートを開いてはいかがでしょう」と提案し、ご夫妻の日程がすべて終わったある夜、メキシコのピアニストと私との演奏会が、小さな劇場で開かれたのです。

 そのコンサートでは、日本から清瀬保二と入野義朗、メキシコからマヌエル・ポンセとカルロス・チャベスの曲を両陛下に披露させていただきました。会の後に美智子さまとお話しさせていただいたときに、「来年はコンサートがあるので帰国します」と私が申しますと「もし都合がつきましたら、伺わせていただきますね」とおっしゃったのです。そして、本当に'65年の東京文化会館での私のコンサートにご出席くださり、感激しました。

 メキシコでは子どもたちにバイオリンを教える「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」を主宰していましたが、'81年の通貨危機で、小さな子ども用バイオリンが輸入禁止になった際、「日本で不要になった楽器をメキシコの子どもたちへ」という呼びかけをしましたら、多くの方々が寄贈してくださいました。

黒沼ユリ子さん
黒沼ユリ子さん

 それで'85年、お礼の意味を込めた「日本・メキシコ友好コンサート」を日本各地で開きましたが、東京でのコンサートには美智子さまがご出席くださり、「素晴らしいことですね」と、お喜びいただきました。

 その後、御所にもお邪魔させていただくといった交流が続く中、東宮御所で現在の皇太子さまとアンサンブルをご一緒させていただいておりましたら、両陛下がお見えになったのです。そして、なんと親子3人でのトリオ演奏をお聴かせくださいました。

 陛下はチェロ、美智子さまはピアノ、皇太子さまがバイオリンで、曲はハイドン。演奏前に皇太子さまはまず、陛下のための譜面台を準備され、チェロの楽譜をのせられました。が、それは薄いボール紙の上にテープで貼られたコピーの譜面だったので驚きました。国民のお金を無駄遣いしないように、そういった細部まで気をつけられておられるのです。

 平成になってからは皇居に伺う機会もあり、あるとき、バッハ/グノーの『アヴェ・マリア』を美智子さまのピアノで演奏させていただきました。そのピアノ譜もコピーで、「これはメニューインさんともご一緒させていただきましたのよ」と、そこにあった彼のサインを見せてくださったのです。

 あの世界的なメニューインも、皇后さまの楽譜がコピー譜なのには、さぞ驚かれたでしょう。できるかぎり贅沢をしないように、美智子さまは、このように些細なことまで気遣われるお方なのです。

 両陛下は、国民の象徴として、どう応えていくべきかを常に考えてこられました。今回、天皇陛下となられる皇太子さまは以前、イギリス留学からお帰りの折に「このように貴重な学びと体験ができたことを、両親に深く感謝しています」と、おっしゃっていました。両陛下が切り開かれた道なき道を、今後は皇太子ご夫妻が、さらに道幅を広げながら前進されるでしょう。