小学校6年生で180cm

 瀬戸大橋の本州側の起点であり、数々の歴史的建造物を有する岡山県倉敷市。フィギュアスケートの高橋大輔やB'zの稲葉浩志ら数々の有名人を輩出しているこの町で、'84年8月に生をうけたのが荒木絵里香選手だ。

 2歳年下の弟のいる4人家族。父・博和さんは早稲田大学ラグビー部OB、母・和子さんは体育教員というスポーツ家系で、幼少期から運動は大好き。倉敷市立菅生小学校時代は水泳や陸上クラブに通っていた。

 出生時に3900グラムあった彼女は、生まれつき大柄だった。なんと小5で170cm、小6で180cmに達していたという。

「普通の女の子は“背が高すぎるのは嫌だ”と感じるかもしれないけど、両親は身長が高いことを喜んでくれたので、自分自身は気にせず育ちました。ただ、さすがに180を超えたときは“まずいのかな”とは思いましたけどね(笑)。水泳とかをやりながら“いずれバレーボールかバスケットをやりたい”とも考えていて、小5から地元小学校のバレーボールチームに入りました」

 運動神経に秀でた少女はメキメキ上達したと思いきや、そうではなかった。スパイクはもちろんのこと、レシーブもトスも思い描いたようにはできない。低学年から始めた子が周りには多く、自分だけが下手くそ。それが悔しくて余計に必死になる。そんな日々を経て、彼女はバレーにのめり込んでいった。

 倉敷北中学校時代も「スポーツ中心の生活を送るのは高校からでいい」という両親の考え方があり、強豪校には進まなかった。が、180cm超の身長が買われ、中1から五輪有望選手の仲間入り。しばしば東京や大阪へ赴いて強化合宿に参加するようになった。

 そこで顔を合わせたのが、同い年の大山加奈さん。後に成徳学園(現・下北沢成徳)高校、東レ、全日本でともに戦い、引退後は一緒にハワイを旅行したほどの親友でもある。

「絵里香と初めて会ったのは中1のとき。東京代々木のオリンピックセンターでした。自分より大きい彼女を見て“こんな子がいるんだ”とビックリしました。中3のときには中学選抜で一緒にプレーしたけど、絵里香の学校は岡山の県大会1回戦負けくらいのレベルで、バレーの技術もそこそこ。それでも飛び級で年上の先輩たちとプレーしていた。私はただただ羨ましかったですね。

 絵里香はよく転ぶ選手だったけど、天性の身体能力があって、水泳や長距離走も得意でした。万能型だったことも長く現役を続けていられる秘訣かなと思います」

春高バレー優勝時の荒木選手(左)と大山加奈さん(右)

 3学年上の落合真理さん(スポーツ解説者)らのすすめもあって、高校は名門・成徳学園へ進学。父・博和さんの転勤も重なり、一家で神奈川県川崎市に引っ越すことになり、落ち着いた環境でトレーニングに打ち込むことができた。

 当時は「ミドルブロッカー(主にブロックをする役目のポジション)としての実力はまだまだ」という見方をされることが多かった。「大きなトスを打てるようになるのが第一歩」という名将・小川良樹監督の考え方から、速攻や時間差攻撃など、このポジションに必須の技術を完璧に習得しないまま高校を卒業。