5月1日に両陛下が即位され、4日の『令和』初となる一般参賀では14万人超が祝福した。天皇陛下と幼稚園から中等科まで同級生だった立花眞さん(59)は、当時の陛下との思い出をこう語る。

「小学校低学年のころ、たまに東宮御所に遊びに行っていた時期がありました。

 御所には水たまりのような浅い池があり、その池を飛び越えて遊んでいたこともありました。しかし、私が飛び越えられずに池の中に落ちて、洋服がびしょ濡れになってしまったことがあります。

 私が困っていると、陛下はご自分のお召し物を私の着替えとして用意してくださったのです。しかし、当時の私は普通の子どもよりも身体が大きかったので、結局は侍従の洋服をお借りしたことを覚えています」

 ほかにも、陛下の優しいお人柄が伝わってくるこんなエピソードも。

「小学校高学年のころ、捻挫して歩くことすらつらい時期がありました。

小学6年の修学旅行で福島県を訪問された陛下(’71年5月)
小学6年の修学旅行で福島県を訪問された陛下(’71年5月)

 校内の移動も難しいほどでしたが、陛下をはじめとした友人たちが、台車の上にイスを固定し、そこに私を座らせて、台車ごと移動させてくれたことがありました。

 陛下ご本人も一緒に押してくださいましたね。気遣いとはちがう“自然な優しさ”をお持ちなのだと思います」(立花さん)

 一方の雅子さまは、中学生時代にはソフトボールに情熱を捧げられていた。

「中学校のソフトボール部では、雅子さまのポジションはサード、かつ重要な打順を任されていて、実力でチームを引っ張っておられました。ずば抜けて運動神経がよいお方だったことを覚えています。

 強肩でいらっしゃったので、サードからの送球がファーストミットにおさまる音がきれいに響くんです。率先して意見を言うタイプではなかったのですが、チームからとても信頼されていましたね。バッターボックスに立たれると“絶対に打ってくれる!”とか、打球がいくと必ずアウトにしてくれるといった安心感がありました」

 そう話すのは『田園調布雙葉学園』で、小学校から高校まで同級生だったAさん。中学では、雅子さまとともにソフトボール部を立ち上げた創立メンバーのひとりでもある。

「もともとは、高校のソフトボール同好会の練習に交ぜてもらっていましたが、中学でも部を作りたいということになり、学校側にかけ合って発足しました。当時、深夜帯で毎日放送されていた『プロ野球ニュース』という番組をご覧になってから就寝されていたほど、野球がお好きだったようです。本当にまじめな方で、自主練習も毎日されていました」(Aさん)

雅子さまが中学3年生のときにソフトボールの区大会で優勝(’78年)
雅子さまが中学3年生のときにソフトボールの区大会で優勝(’78年)

 勉強もスポーツも優秀だった雅子さまは、学校でも一目置かれていた。高校1年生のときに、お父さまの転勤によってアメリカに転校されることになった雅子さまのために、クラスメートからはこんな心温まる“プレゼント”が。

「アメリカへ旅立たれる直前、学校内で合唱コンクールが開かれました。