NHKが尖った企画を生み出せる理由とは……?
 '59年に『世界初の教育チャンネル』として産声(うぶごえ)をあげ、今年で60周年を迎えるNHK『Eテレ』が公共放送にも関わらず、個性あふれる企画を連発し続けている──。子どもだけでなく、思わず大人も思わず食い入ってしまうような“尖(とが)った”番組作りがなぜできるのか。そんな疑問に『世界の果てまでイッテQ!』など人気番組を多数担当する放送作家・鮫肌文殊が答える。

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「その企画って既視感がありますよね」

 NHKのプロデューサーの方と企画会議をしていると頻発するのがこの『既視感』というキーワード。もっと平たく言えば「それって民放でよく見る番組ですよね」ってことでしょうか。

 Eテレに限らずNHKの人たちの矜持(きょうじ)としてこの「民放でやっているようなありがちな企画はやらない(やりたくない)」という大前提が確かに存在すると私は思います。

 そして、この『既視感』を嫌うNHKイズムが特に顕著な現在のEテレを、全体の印象として「攻めた番組が増えている」と感じるのでは。

かつての民放深夜の“実験ノリ”

 令和の時代に「またその昔話かよ」とディスられること承知であえて書きますが、バブルが弾けてしまう前の予算が潤沢にあった時代、民放の深夜枠は実験の場でした。

『カノッサの屈辱』(フジテレビ系)をはじめ数々の名番組が深夜から生まれたのもそのころ。しかしリーマンショック以降、ガリガリと番組予算が削られ(体感として往時の3分の1)、深夜と言えどもプレゴールデンとしてゴールデン枠を目指す内容を求められるようになると、いわゆる「尖った企画」が通らなくなります。

 われわれ出入り業者も、番組企画が通らないことにはおまんまの食い上げとなってしまうため「尖った企画」を考えなくなりました。野球にたとえると「ボールを置きにいく」って状態でしょうか。

 追い打ちをかけるように平成後期のテレビ業界を覆ったコンプライアンスの波。さらに企画がこぢんまりとしていったのは必然であったのです。

 例えば大御所俳優がカマキリのコスプレをして自らの昆虫愛をひたすら語りまくる絶対に民放ではありえないシュールな30分番組『香川照之の昆虫すごいぜ』をはじめ、『ねほりんぱほりん』、『バリバラ~障害者情報バラエティ~』に加え、これはNHK総合のほうですが『おやすみ日本 眠いいね』など視聴者のみなさんが「攻めてる」と思う番組を見ていて、50代から上の私と同世代のみなさんは昔の民放の深夜放送の実験ノリを感じるのでは?

 当時は民放でも実験番組がよくありました。今でも伝説となっている『EXテレビ』(読売テレビ)の、

「台本のスタッフクレジットに書いてあるスタッフを1人ずつ帰らしていくと、どこの時点で放送ができなくなるか?」の回とか刺激的でした。

 美術スタッフとかはセーフなんですが、照明担当が帰った途端、画面が暗くなったり。よくあんな思いつきをテレビで、しかも生放送でやってたなと。でも、見ていて超ドキドキしました。

 テレビを作る現場にいて、いま若い人が加速度的にテレビを見なくなっているのを肌で感じています。ごくごく近い将来、地上波はネットテレビに追い抜かれるやも。そんな逆風だらけの中、今のEテレの既視感を嫌うやり方はこれからの地上波の方向性を指し示しているとさえ思うのです。

「誰も見たことがないテレビ」

 テレビの基本の基に立ち返っての番組作り。Eテレの「攻めてる」番組が教えてくれている気がします。


<プロフィール>
鮫肌文殊(さめはだ・もんぢゅ)
放送作家。’65年神戸生まれ。古舘プロジェクト所属。『世界の果てまでイッテQ!』など担当。渋谷オルガンバー「輝く!日本のレコード大将」(毎月第2金曜日)新宿ロックカフェロフト「トーキョー歌謡界アワー」(奇数月開催)などでの和モノDJ、関西伝説のカルトパンクバンド・捕虜収容所のボーカリストなど音楽活動も数多い。