彩豪さんがインスピレーションを受けた旧小野津小にある土俵。現在は草が生えているが、祭りなどのイベントでは土俵を囲うことも(撮影協力/吉内夏美さん)
彩豪さんがインスピレーションを受けた旧小野津小にある土俵。現在は草が生えているが、祭りなどのイベントでは土俵を囲うことも(撮影協力/吉内夏美さん)
【写真】彩豪さんがひらめいた喜界島の土俵、自ら土俵作りをする姿も

 2人の熱いトークから『100年後の国技を守るために~彩豪プロジェクト』が始まった。日本中の土俵を直し、作り、子どもたちが相撲を取る環境を整えていく。100個の土俵を作ろう(直そう)、そう決めた瞬間だった。

「それもただ作るだけじゃなく、その後も自分たちがいなくてもメンテナンスをやっていけるようにと、あらかじめ地元の人たちと一緒に作ることも考えました。日本中の土俵を考えていたので、例えば九州場所の時期なら、土俵作りのプロである呼出しさんたちをお招きして、一緒に作ってもらうのはどうか? など、後々のことまで考えて計画していました。

 でも、それにはある程度の資金が必要だった。そこで、知り合いからYouTubeで動画配信をしてみたら? とアドバイスを受け、その収益をプロジェクトにあてることにしたのです。YouTubeについても彩豪関は自分で勉強して『彩豪ちゃんねる』を立ち上げました

『彩豪ちゃんねる』では力士だけでなく、行司さん、呼出しさん、床山さんという、裏方さんを大事にしてきた彩豪さんらしいインタビューをしてみたり、畑をやってみたり、元力士の飲食店を訪ねてみたり、料理を作ったり。そして、土俵をいちから直すプロジェクトの第一弾として選んだのが、顧問を務める埼玉相撲クラブの土俵築(土俵を直す)から始めた。

突然の別れ

「土俵崩しは自分と彩豪関の2人でやりました。動画をご覧になっていただければわかりますが、すごい力仕事です。彩豪関は30分ぐらいで疲れちゃって(笑)。すごく大変な作業なんですが、実は“今ある土俵”を探すこと自体も、けっこう大変なんですよ。

 今はそもそも土俵が減っていますし、あったとしても高低差でケガをするから危険だから使ってないところも多い。でも、そういうところは単純に、段差を低くしてあげればいいんです。彩豪関は、そうやって視野を広めて柔軟に物事を考えていました

彩豪プロジェクトで土俵作りをする、彩豪さんと橋本さん
彩豪プロジェクトで土俵作りをする、彩豪さんと橋本さん

 しかし4月6日、突然に別れが訪れる。

「その日も『彩豪ちゃんねる』のために、旧中村部屋の塩ちゃんこを作って動画にあげようと、朝8時半に浅草の事務所で会いました。食材などを買いに出かけ、事務所に戻ると、彩豪関の様子がおかしくて。『水、飲みますか?』と話しかけましたが、息が荒くなり、返事ができるような状態ではありませんでした。すぐに救急車を呼んだのですが……。死因は致死性不整脈の疑い、ということだそうです。いまだに信じられません。この数年は、自分の家族よりも長い時間を過ごしていましたから、亡くなったことが信じられないんです」