元ワルたちを応援し、応援された20年

 100人以上の子どもたちの立ち直りを見守った中澤さんだが、いつしか77歳になっていた。保護司には75歳という定年があるが、2年延長して務めた。そして昨年2018年、77歳で退任することとなった。

「いちばんうれしかったのは、子どもたちが門前仲町の居酒屋で退任パーティーを開いてくれたこと。奥さんも子どもも来てくれて、“お疲れさまでした!”って驚かせてくれた」

 

 保護司になって20年、さまざまなワル、手に負えない不良も担当したが、1度も危険な思いをしたことがなかった。

 少年たちが、“中澤さんに決して迷惑をかけるんじゃないぞ!”と、後輩たちに申し送りをしていたのだ。

「私は応援しているつもりだったのに、応援してもらっていたんだと。そう気がついたときには、感動で身体がザワザワとしましたね……」

 昨年11月には保護司としての長年の貢献が認められ、現上皇陛下から藍綬褒章が授与された。

 皇居へは富士山が描かれたピンクの着物を着て上がった。この着物、実は小林幸子さんのお母さんの形見の品だ。

「小林に“着ていくものがないから皇居に行くのよそうかな?”と言ったら、“照子さん、うち来ない? 母の着物が何着かあるから”って。

 衣装部屋で小林とマネージャー、衣装さんなんかがね、私をどうにか格好よく見せようとしてくれてね。楽しかったし、うれしかったわ(笑)」

 うれしいことはまだまだ続いた。昨年9月、かつてサポートした十島和也さん(37)が保護司になったのだ。

 十島さんが言う。

「ちょっと前には“みんなの中から保護司が出たらいいなあ”なんて言っていて、そのうち“十島くん、あなた保護司になりなさいよ”。それこそ10年以上前から種をまいていたんじゃないですか(笑)。

 今、19歳の子をひとり担当していますけど、本当に難しい。保護司の平均年齢が60歳過ぎている中、年は近いと思っていたのに話が全然通じないから」

 17歳で出会ったときは、“話すと長くなるおばさん”が中澤さんの印象だった。保護観察する立場になって初めて、ひたすら聞いてくれたからの長さだったことに気がついた。

 十島さんが静かに続ける。

「保護司としての自分は、中澤さんの足元にもおよばないと思っています」

 明治生まれの母・はるさんが、こんなことを言っていた。《親切は、ぐるっと世の中に回って返ってくる─》

 見返りを求めずやってきた献身が、ぐるっと回って、今、返ってきた。

 お金じゃ買えない、愛と感謝、そして尊敬の思いとなって─。


取材・文/千羽ひとみ

せんばひとみ ライター。神奈川県出身。企業広告のコピーライティング出身で、ドキュメントから料理関係、実用まで幅広い分野を手がける。著書に『ダイバーシティとマーケティング』『幸せ企業のひみつ』(ともに共著)。