マネージャーが明かす最期の様子

 自宅からほど近い熱海にも足しげく通っていた。15年ほど前から通っていたという中華料理店の女将が明かす。

梅宮さんの3月11日の誕生日には店を貸し切ってパーティーをしてくれていました。ただ、東日本大震災がショックだったようで、あれ以降パーティーはやっていませんが。とにかく何でも豪快に食べてくれる人でした。でも、人工透析を始めてからは食が細くなりましたね。お酒もずっと生ビール2杯を飲んでから紹興酒にかえて飲むのが習慣でしたが、今年から生ビールは1杯に減りました。最近いらしたのは10月末でした

 熱海では、新しい店を見つけて常連にもなっていた。

「ウチは昨年6月にオープンしたばかりですが、翌々月からは、ほぼ毎月来ていただいていました。昨年はたくさん食べていましたが、人工透析をしてからはあまり食べられず、連れて来られた方に振る舞っている感じでした」

 そう語るのは熱海にある寿司店の大将。そんな梅宮さんが連れて来た客と、後日ちょっとしたことでモメたことがあったという。だが、それに気づいた梅宮さんは「何があったんだ?」と電話をくれた。大将が事情を説明すると「よし、わかった。俺はお前を信じる。俺の顔で何とかするから!」と言って、事態の収拾にも動いてくれた。

 今年1月、6度目のがんとなる尿管がんの手術で左側の腎臓を摘出。翌2月から血液を浄化する人工透析を週3回受けてきた。

 7月には1年10か月ぶりに『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)でドラマ復帰したが、周囲はその劇的にやせた姿に驚愕した。このとき、週刊女性の取材に梅宮さんのマネージャーがこう答えていた。

「年相応ですよね。相変わらず料理は梅宮が作っていますし、アンナさんもよく遊びに来ます。それ以外では生活に変化はないですよ」

 8月には前出・熱海の寿司店で、娘のアンナのバースデーパーティーも開いた。アンナは父を亡くした直後、ブログで心境をこう綴った。

《この数年は、病との闘いでした。。家族皆んなで、日々最善を尽くす毎日でした。。父の変わりゆく姿に何度も泣いた。。。父、本人も苦しい想いをしつづけて。。。沢山色んな事を感じました》(原文ママ)

 10月までドラマの収録に臨んでいた梅宮さん。マネージャーが、最後の様子を明かす。

「亡くなる前日まで人工透析を受けていたぐらい、いたって普通でした。年齢的には、いつ何が起こるかはわかりませんでしたが、苦しむことのない安らかな死だったと思います。ご遺体も、ちょっと前にドラマに出ていたときと同じ顔をしていました。お酒も最後まで飲んでいましたよ。たしなむ程度ですがね」

 マネージャーには「(沖縄の)久米島で釣りがしてえなあ」と話していた。最後まで好きな酒をたしなみ、愛する家族を思い、旅立った。