コソボ共和国は、バルカン半島中部の内陸部に位置する国家。旧ユーゴスラビア連邦崩壊のさなか、アルバニア人とセルビア人の泥沼の民族紛争を経てセルビアから2008年に独立を宣言した国である。

「コソボの山奥でお母さんが、パイを焼いてくれたんです。窯で焼いた生地を重ねていく『フリア』という料理なんだけど、生地の中にバターやヨーグルトが入っていて、焼くのに3時間くらいかかる」

コソボで誇らしげに大きなフリアを焼いてくれたお母さん
コソボで誇らしげに大きなフリアを焼いてくれたお母さん
【写真】キューバ、スーダン、ケニアの食卓、そしてコソボのお母さんの「フリア」

 このお母さん、自分は糖尿病のため、フリアを食べることができない。焼いていたのは、子どもたちが喜ぶためだ。

「ホットケーキみたいないい匂いがする。日曜日に焼くと子どもたちがうれしくてやってくる。子どもたちが喜ぶ姿がお母さんはうれしくてしょうがないんですね」

 岡根谷さんは、そのお母さんがフリアを「これはわたしたちが育ったアルバニア山岳部の伝統料理」と誇らしげに言ったことが忘れられない。

「本当にすべてが変わってしまった国。変わらないのは、住んでいる土地と食べ物だけ。それこそ、言葉まで変えられてしまったコソボのなかで、自分たちのアイデンティティーの象徴としてこの料理を紹介してくれた。そこに私はグッときました」

 その料理を岡根谷さんに見せてくれたこと。そして子どもたちが喜ぶものを作りたいんだ、というお母さんの母性と愛情に心打たれたのだ。

 よく聞く常套句(じょうとうく)に『経済的な豊かさじゃない豊かさを持て』がある。岡根谷さんは、ずっと「それって何だろう?」と考え続けてきた。その答えを教えてくれたのは、ケニアで見た食卓や、コソボのお母さんである。

豊かさとは生産すること

「日本、それも東京で生きていると、すごく消費して生きているなと感じます。有限の選択肢の中から選んで、“美味かった”“不味かった”と言ってるのは受動的なんです。

 “豊かさ”とは結論から言うと、“生産すること”。自分の食べるものを育てたり、作ったり、着るものにしても、家にしても、自分の生活をコントロールできるということはものすごく力強いことだなと思う。自分の身体が求めているもの、自分がいいと思えるものを作れたほうが、より能動的になれる。つまり自分の生き方を作れる。そのいちばん簡単な例が料理なんですね」

コソボで誇らしげに大きなフリアを焼いてくれた
コソボで誇らしげに大きなフリアを焼いてくれた

 道路やインフラを変えることや政治を変えることはできなくても、今日、家族で食べるものは作ることができる。

「自分で作ることができるようになったら、今度は仕事に文句を言うんじゃなくて、自分で仕事を作るとか、生きる場所を変えるだとか。自分の人生をもっと能動的に生きられるんじゃないかな。私はそう信じているんです。それを未来を作る子どもたちに伝えたくて、今は小・中学校での講演を増やしているんです」

 この年末年始を岡根谷さんは、ヨルダン、イスラエルで過ごすという。

「中東問題とひとくくりで語られるけれど、そこにもやはり人の営みがある。それを確かめに行きたいんです」

 そう言い残して彼女は旅立った。

 岡根谷さん自身、まさに料理を通して自分の生き方を作っているといえるだろう。

 その旅路はまだ途中である。しかし、彼女の「土産話」は興味深いだけでなく、「自分は何者なのか?」を考えさせてくれるのだ。


取材・文/小泉カツミ(こいずみかつみ)◎ノンフィクションライター。医療、芸能、心理学、林業、スマートコミュニティーなど幅広い分野を手がける。文化人、著名人のインタビューも多数。著書に『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』など。近著に『崑ちゃん』がある