普通なら、とうにやめていてもおかしくない。だが、彼女は1度も歌手である自分を諦めなかった。40年間、ねばり強く歌い続けてきたのだ。

 3時間ほどで20曲を歌う長いステージであるにもかかわらず、声に衰えは感じられない。アンコールでは沢田のいまの気持ちを表した新作『Life is a Winding Road(「人生は曲がりくねった道」の意味)』を歌った。

「途中で歌うのをやめようと思ったり、人に裏切られたり、よくないこともたくさんあったけど、いいこともたくさんありました。これから先も同じように繰り返していくのだろうと思って作った曲です」

 人目をはばからずに涙を流す人が会場のそこかしこにいた。沢田がひたむきに頑張ってきた姿に、自分の人生が重なるのだという。

売れたらとっくにやめていたかも

 名古屋から駆けつけた市村美由紀さん(56)は、デビュー以来の追っかけ。歌詞にうなずきながら聴き入っていた。

「“いつか大きなホールでまたやりたい”というのが聖子さんの夢だと思ってずっと応援してきました。でも、何年もライブに通ううち、“今こうして歌えていることが、この人は本当に幸せだと思ってるんだ”と感じられて、私の勝手な思い込みに気づかされました。挑戦し続ける姿を尊敬しています

 いったいどこに40年にわたって歌い続ける気力があったのか。ライブ終わりのインタビューで疑問をぶつけると、それまで饒舌に話していた沢田が少し沈黙し、「根底にあるのは悔しさ」と、くちびるを噛みしめた。

なんで私は売れないんだろうって気持ちがバネになったし、負けそうになる自分も嫌で……。売れてたらとっくにやめていたかもしれません。デビューしたころの私に言ってやりたいことがあるんです。好きにやってもいいんだよ。間違えたって全然、平気。ヒットがなくても、売れなくても気にしないで。そこに座っているだけで、あなたの世界がちゃんと作れているんだから。そんなにガチガチにならず心から歌を楽しんで。私は私、それでいいんだからね」

 その目には、涙がにじんでいた。

 1962年の春、沢田は東京・中野で生まれる。まだおむつのとれない生後11か月で芸能活動が始まった。

「きっかけは兄が婦人雑誌で子ども服のモデルになったことでした。母と都心を歩いていたとき、編集者にスカウトされたそうです。撮影現場に連れられていくうち、私もカメラの前に立っていました」

家族写真。父、母、ひとつ年上の兄・功さんと
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 高度経済成長期にあたる1960年代、テレビやラジオ、新聞や雑誌といったマスメディアが大きく発展し、広告が消費を牽引。子役の需要も高まっていた。目のくりくりした女の子は雑誌の表紙を飾り、5歳のときには渥美清さんに肩車され、胃腸薬「パンシロン」のCMに出演。合唱団「音羽ゆりかご会」の一員として、『月光仮面』や『鉄腕アトム』などテレビ番組の主題歌を歌い、人気子ども向け番組「ケンちゃんシリーズ」では主演・宮脇康之さんのヒロイン役を演じた。