宮脇康之さん主演の『おそば屋ケンちゃん』に出演したときのワンシーン
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「大人になってから聞いたところ、母は結婚して父の実家に同居する家庭環境の重圧から逃れたかったみたいで、それが兄妹そろって子役をさせる動機だったみたい」

 出演前、髪をとかしながら母は決まって、「うちは貧乏だから」と沢田に言い聞かせた。子ども心に、「私が働かなくてはいけない」と健気に思ったという。

 子役による収入は母が管理。結婚するまで銀行に勤めていた母は、その知識を活かして株式投資をしていた。うまく蓄財できたかどうか、沢田はいまだに知らない。

 やがて中学生になって身体が変化するなか、子ども服のモデルの仕事は激減。かわりに当時全盛だった歌謡曲に魅了され、『スター誕生!』や『ホリプロタレントスカウトキャラバン』など、オーディション番組に片っ端から応募した。だが、予選を通過するものの、合格にいたらない。

「審査員をしていた都倉俊一さんに言われた言葉を、いまでもよく覚えています。“君はねえ、コーラスの1人の声なんだよ”と。そのとおりだなぁと思いました」

代役でまさかのデビュー

 ひょんなことから沢田にチャンスが訪れる。フォーク歌手のイルカ(69)が産休の間、夫で所属事務所の社長である故・神部和夫さんが新人歌手を育てる企画を立ち上げたのである。当時、『木綿のハンカチーフ』が大ヒットしていた太田裕美のような、「アイドル性を備えるシンガー・ソングライター」という具体的なイメージがあった。歌よりルックスを重視し、いくつものモデル事務所からプロフィールを取り寄せた。そのなかでひとりの女性に目をつけ、「この子を“イルカの妹”としてデビューさせよう」と決める。

 しかしオーディションの日、本命の子にモデルの仕事が入り、穴をあけるわけにはいかないモデル事務所が代役で行かせたのが沢田だった。

 事務所からは「夢を見るな。イルカさんにサインをもらって帰ってこい」と釘を刺されたという。

 当日、高田みづえのヒット曲『硝子坂』を歌うも、レコード会社からは「まったく使いものにならない。声からビジュアルからすべてダメ」との烙印を押される。ただひとり、神部さんは「ピアノが弾けるなら弾き語りはできないの? 来週聴かせてよ」と助け船を出す。

「子どものころから叔母にピアノを習っていたので、『木綿のハンカチーフ』の楽譜を買って練習しました。でも、歌うとピアノが弾けず、ピアノを頑張れば歌えません。弾き語りなんて、とても無理だと思いました」

 2度目のオーディションも惨憺(さんたん)たるものだったが、神部さんには閃(ひらめ)くものがあったらしい。

「きみが本当にデビューしたい気持ちがあるなら、半年後にデビューさせてあげる。練習してできるようになれば弾き語りで、だめならマイクを手に歌えばいい」

 音楽プロデューサーとして辣腕(らつわん)をふるう神部さんに異を唱える者は、当時レコード会社にひとりもいなかった。