『愛のカタチ』は、20代の新人が歌うには、あまりにも重い内容だった。

'16年のカラオケ世界大会で歌ったときは、正直なところ歌詞が理解できていたとはいえません。ただ、この曲を歌ったときに会場の雰囲気が違ったんですよ。聴き入ってもらっていることが伝わってきました。この曲がなかったら予選敗退だったと思います。歌詞の内容や、作者がどういう思いで作ったのかを深く考えるようになり、この曲をずっと歌いたいと思うようになりました。おじいちゃんのことがあって、この曲との距離感が、どんどん縮まっていくように感じられましたね

“ホスピタルプリンス”の献身

 海蔵は、子どものころから歌が好きだった。しかし、子どもらしい童謡とはあまり縁がなかったという。

「いちばん上の姉と8つ違いだったせいか、当時の子どもに人気の『だんご3兄弟』は聴きませんでした。姉と一緒にMISIAやドリカムを聴いて、それを覚える感覚でした。学校での音楽の授業は苦手でしたね。合唱ってみんなでキレイに歌わなきゃいけないんです。私は癖が強い人の曲ばかり歌ってきたから、わざとテンポを変えたりビブラートをかけたりしちゃうんです。すると先生に怒られるんですよね(笑)」

 特に好きだったのは槇原敬之だった。

「ほかの歌手の歌詞は意味がわからなかったんですが、槇原さんのだけはなんとなくわかったんです。小学生がわかるんだから、槇原さんの歌の力はすごいと思いました。ファンタジーというか、絵本を読んでいるみたいだったんです。洋楽ではサム・スミス。この2人に共通しているのは“寄り添うような声”ですね。攻撃的ではなくて、気づいたら隣に寄り添っているみたいな、そんな声に憧れます」

 海蔵は“ホスピタル・プリンス”とも呼ばれている。病院や介護施設などで歌うことが多いからだ。

「おじいちゃんが亡くなったことがきっかけとなり、昨年の夏から病院や施設でライブをやらせてもらうようになりました。病気と闘う人だけじゃなく、支える家族や職員さんたちがいます。こういう場所で歌うと、自分のおじいちゃんにはできなかったことが、こういった形で別の人たちに対してやれているのかなと思いますね。昨年の夏に、おじいちゃんがいた病院でもライブをしたんですよ。その前におじいちゃんの墓へ行って、歌ったんです。でも、お墓の前ではなく、生きているときに歌いたかったなと思いましたね

 フキさんは海蔵がテレビに映ることがうれしくてならず、いつかは年末の紅白に出てほしいと願っている。

海蔵亮太さんが父・茂さんが亡くなる1年ほど前に撮った写真
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テレビや新聞で僕の記事が出ると、僕とおじいちゃんのツーショット写真が使われるので、おばあちゃんはそれがうれしいんですよ。この写真は亡くなる1年ほど前に病院で撮りました。紅白にはもちろん出たいと思いますが、僕の根っこにあるのは家族と一緒に行ったカラオケなんです。ただ歌うのが楽しくて、両親やきょうだいが“すごいね、こんな曲を歌えるんだね”とほめてくれたときのうれしいという気持ちが、歌いたいと思う原点ですね

 だからこそ、『愛のカタチ』を多くの人に聴いてもらいたいと願っている。

「みなさんが優しい気持ちになってくれたらうれしいですね。介護って大変ですが、みなさんが優しいんです。ヘルパーさんは認知症になった人たちに対してリスペクトがあって、サポートをしたいという方が多いんです。家族もそうですが、それ以外の方も一緒に支えてくれる。みなさんが感謝の気持ち、優しい気持ちになってくれれば、ハッピーな世の中になるんじゃないかなと思います」