超チャラい少年が医学部へ

 片上さんは1984年、神戸市で生まれ育った。父はがん専門医、母は内科医、公衆衛生医を経て、現在はリハビリテーション病院で、内科・リハビリテーション科の勤務医として働いている。9歳下の弟も医者になった。

 現在、宝塚市立病院で副院長として勤める父の片上信之さん(65)に、幼いころの息子の様子を尋ねると、いきなり笑いだした。

ハハハハ。まあ、ヤンチャな腕白坊主ですね。活発で親の目の届かないところで、悪さをすることもあったようです。人に迷惑をかけないように、しつけは厳しくしようと思って、寝るときによく家内と交互に、童話を読んで聞かせていました。人を助けなあかんとか、世の中のために頑張ろうとか、教訓的なことをやさしく教える日本昔話とかです。

 あとは、まったく人見知りをしなくてね。誰とでも話す反面、寂しがり屋のところがありました」

 幼いころから1度も「医者になれ」と言ったことはないが、自分たちが働く姿は見せていたそうだ。

 両親がアメリカのハーバード大学に2年間留学したとき、片上さんはまだ保育園児だったが、向こうでの光景はよく覚えているという。

「ラボ(研究室)に遊びに行くとバーッと並んだ机の上に顕微鏡があって、無機質でカッコよかったですね。医者はいい仕事やなとは思っていましたよ。自信ありそうだったり、ロジカルにしゃべるところとか」

 帰国して、小学生になるとランドセルを背負ったまま公園に行き、よくサッカーをした。友達と些細なことで殴り合いのケンカをするなど、ガキ大将でもあった。

 中学からは中高一貫の進学校の六甲学院に進んだ。地元にあるカトリック系の男子校で、校則も厳しい。

「この間、同窓会があって、“ご迷惑をおかけしました”と謝ってきました(笑)。授業を妨害して騒いだりしていたので、うるさかったん違いますか」

 走るのが速く、中学まではサッカー部だったが、高校ではテニス部に入った。

「テニスのほうがモテるかなと思って。そういえば、高校生のときコーチの女性とも、その友達とも付き合ったことあるな。超チャラい。ハハハハハ」

大学時代に所属していたサーフィンサークルの合宿にて
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 精神科医に興味を持ったのもこのころだ。だが学力が足りず、悩んだ末に選んだのは建築家への道。幼いころはレゴブロックで遊んだり、授業中に建物の立体図を描いたりしており、ランドスケープデザインにも惹かれていた。

 現役で東京大学理科一類を受験したが、不合格。浪人時代に東大の受験技法を書いた本を読んで衝撃を受けた。寝る間も惜しんで猛勉強をして成績がグンと伸びた。翌年のセンター試験で「やっぱ、医学部行けるな」と確信。奈良県立医科大学に合格した。