'67年、『ザ・タイガース』のリード・ボーカルとしてデビューして以来、半世紀以上“わが道”を歩んできたジュリーこと沢田研二

「デビュー以来、所属していた渡辺プロダクションを'85年に独立。設立した個人事務所の社長は、元ナベプロの方が務めていました。それが昨年末、社長の交代があって、新社長が岸部一徳さんになったんです」(音楽業界関係者)

 沢田で記憶に新しいのは、

'18年『さいたまスーパーアリーナ』ライブのドタキャン騒動。動員数が予定より2000人以上も少なく、スカスカの客席を見て激怒し、公演を直前に中止した。

沢田さんは、とにかく気難しくて有名。そんな彼にモノを言える数少ない人が、二人三脚でやってきた事務所の社長さんでした。でも、岸部さんも沢田さんとは50年以上の付き合いがあるんです」(前出・音楽業界関係者)

 17歳だった沢田を、自分が組んでいたバンドに誘ったのが2学年上の岸部。ベース担当の岸部は“サリー”として、デビュー後のザ・タイガースでリーダーも務めた。当時を岸部は過去の雑誌インタビューで、こう振り返っている。

《音楽は18歳のころ、当時の仲間と遊びみたいに始まったんです。あとから沢田研二が入らなければ、4人でただただダンスパーティーをやって、それで終わっていたかもしれない》

 ザ・タイガースは、日本のGSブームの頂点に立ったが、売れ始めのころは東京・四谷のアパートで、メンバーとマネージャーが共同生活。そのときも沢田と岸部は同じ部屋だったという。

「自分は俳優だと思っております」

 '71年にザ・タイガースは解散。岸部は沢田のバックバンドに参加しつつ、30歳で俳優業に転身。当時の樹木希林さんの事務所に入るも、仕事は少なく不安な日々だった。

あんまり深く考えないほうだから“まあ、何とかなるだろう”と思っていたら、ちょうどそのころ、沢田が自分のマンションが空いてるから使わないかと言ってくれてね。僕はそれがホントにありがたかった

 そんな沢田の応援もあり、地道な役者修業の末、岸部は見事に花を咲かせた。

「'95年に、岸部さんは自分の俳優事務所を設立しています。そこには井上真央さんや岸本加世子さんらが所属しています。今や岸部さんといえば俳優としての活動がメイン。米倉涼子さん主演のテレビ朝日系人気ドラマシリーズ『ドクターX』でも欠かせない存在です。それなのに、新たに沢田さんの個人事務所の社長業も引き受けたのは、よほどのこと。ザ・タイガースのファンなら、また再結成があるかもと期待しちゃいますよね」(前出・音楽業界関係者)

 そこで、まずは沢田の個人事務所を引退した前社長に、今回の社長交代についての経緯を聞いてみると、

もう80歳になるから退職しただけ。その後のことはわからないなあ

 と素っ気ない。沢田の個人事務所にも聞いてみたが、

前社長が高齢で辞めることになったので、沢田の人間関係で、岸部が代わりに就任しました。ザ・タイガースの再結成とは関係ありません

 とのこと。岸部本人に話を聞くべく自宅を訪ねたが、京都で撮影中のため、不在。そこで岸部の俳優事務所に連絡すると、スタッフが岸部に電話で話を聞いてくれた。

ザ・タイガースというより、長い友人である沢田さんから社長をやってほしいと頼まれたので引き受けました。ただし、今はあくまでも俳優業に重きを置いており、自分は俳優だと思っています

 以前、岸部はインタビューでこんな話もしていた。

死ぬときは少なくともこの2人(編集部注:ザ・タイガースのメンバーである沢田と森本タロー)にはそばにいてほしいね

 ザ・タイガースはふたりにとって人生の転機であり、芸能活動のスタート地点。岸部の新社長就任も、人生最後の重要な転機となりそうだ。