「自己表現ではなく、人の役に立つモノづくりがしたい」。阪神・淡路大震災と恩師や身内の死による喪失感から、生粋の芸術家は絵が描けなくなり、デザインの仕事を始めた。大きな挫折と悲しみを乗り越え、生み出したメダルデザイン。そこには、アスリートの努力と険しい道のり、周囲の支え、つらい時期を経験したからこそ輝きが増す栄光、そんな「光と影」が繊細に表現されていた。

羽生結弦選手の姿に胸を打たれた

 津軽三味線奏者である吉田兄弟の演奏と元新体操選手・坪井保菜美さんのダンスパフォーマンスで華々しく幕を開けた2019年7月24日の「東京2020オリンピック1年前セレモニー」。注目のメダルデザイン発表では、トップアスリートが壇上にズラリと並び、まばゆいばかりに光り輝く金・銀・銅のメダルがお披露目された。

「色みが深いですね」とウエイトリフティングの三宅宏実さんが見栄えのよさを絶賛。すでに現役を引退している女子サッカーの澤穂希さんも「もう1度、選手に戻って五輪を目指したくなりますね」と目を輝かせた。

 このメダルをデザインしたのは、大阪・天王寺でデザイン事務所『サインズプラン』を運営する川西純市さん(52)。本業はサインデザイナー。病院や学校、商業施設内の案内板など、人々のスムーズな行動を促す案内誘導のピクトグラム(絵文字)やロゴマーク、グラフィックの計画に携わる。

 421人がエントリーしたコンペティションを見事に勝ち抜いた川西さんが、メダルデザインで試行錯誤した過程をこう振り返る。

「最初は月桂樹をスケッチしながら、紙の上でグルグル輪を回していたんです。人が手をつないで輪を作る絵も描いたけど、宇宙人みたいになって(苦笑)。そんなとき、ふと『世界の輪、友情の輪を入れたいな』と。仲の悪い国同士でも手をつなぎ合えるのがオリンピック。多様性を認め合うことを伝えたかったんです」

「光と輝き」「アスリートや周りで支える人々のエネルギー」「多様性と調和」この3つの要素がひとつの光の環になるデザイン。

 渦をかたどる曲線が特徴で、それぞれ異なる角度で彫られているため、向きによって「光と影」が生まれる。ここに川西さんは強い思いを込めた。

「アスリートというのは家族や友達、周囲の人の支えがないと成功できない。うまくいっているときばかりではないし、調子が上がらず苦労するときもある。そんな部分も『光と影』で表現したいなと感じました。そう強く思ったのは、2018年平昌五輪の男子フィギュアで連覇した羽生結弦選手の姿を見たとき。足のケガを乗り越えて栄光をつかんだ頑張りに胸を打たれました」

 ネット上では「クッキーみたい!」「ジャムをのせたらおいしそう」といった書き込みもあったが、川西さんは「みなさんに親しみを持ってもらえるのならうれしいです」とやわらかな笑顔を見せる。

 新型コロナウイルスの感染拡大で大会の1年後ろ倒しという前代未聞の事態が起き、日本中が揺れ動いているが、川西さんは今、何より平和を願い、東京五輪が安心・安全に開かれることを祈っている。

「コロナのこともそうですけど、人生というのは何が起きるかわからないですよね。予期せぬ困難が突如として目の前に現れるかもしれない。本当に油断できないと思います。そんなときこそ、今を大事にひとつひとつ、しっかりと仕事をしていきたい。それはアスリートのみなさんも同じ気持ちだと思います」

 五輪延期という苦難に直面した選手たちに思いを馳せつつ、自らを奮い立たせる。

 川西さんの人生もまた紆余曲折の連続だった。自然災害に翻弄され、愛する家族との別れに涙し、一時的に絵が描けなくなるなど、波瀾万丈の人生を送ってきた。だからこそ、選手の努力の軌跡や、周りで支える人々にも目を向けた繊細な作品を生み出せたのではないだろうか。