つらいことがあるからこそ

 2日後、東京のオリンピック組織委員会へ出向き、造幣局の担当者も交えて立体の試作品を作る打ち合わせをした。担当者に「これは難しいな」と言われ、ラスト1作品に残るのは無理だろうと感じた。それでも「ここまで来たら大満足」と胸を張って帰宅。真寿実さんも「実物を作ってもらえるだけでよかったやん」と笑顔で迎えた。

 忘れかけていた約2か月後、再び電話が鳴った。

東京五輪のメダルに内定しました」

 ただ、川西さんは素直に喜べなかったという。

「『まだ内定なので、喜ばないでください』と言われたんです。何かあれば2番手の作品が繰り上がるということ。心から実感が湧いたのは実物のメダルができ、1年前セレモニーでのお披露目を迎えたときでした」

 学生時代からの友人・粟国さんは言う。

メダル内定を聞いて、僕は泣いて喜びました。美術をやめた後、苦労してる姿が浮かんできて、余計に感極まりましたね。芸術の世界は序列社会で、多摩美術大、武蔵野美術大あたりの人が受賞するんだろうと思っていたけど、大阪芸大出身の個人事務所の社長に決まったのを知って、『世の中捨てたもんじゃないな』と。

 まさに金字塔ですよ。川西さんの子どもさん2人も父親を改めて見直し、尊敬したんじゃないかな。そういう意味でも本当にうれしい限りです」

 そして、誰よりも感動したのは、そばで浮き沈みを支えてきた真寿実さんだ。

「決まったときは半信半疑でしたね。夫のデザインはシンプルで、勝利のシンボルをどう光らせ、輝きを走らせるかということにこだわっていました。空間・サインデザインの経験から、日本のオリンピックという場面で最高の仕事をしようと頑張ったのかなと。そこにアーティストとしての抽象表現も加わった。長い間やってきた活動が凝縮されて、あのメダルが生まれたんだと思います。

 長男なのに何も言わず自由に作家活動をさせてくれた夫の父、『川西君に賭けろ』と言って応援してくれた私の父、どちらも亡くなっているんですけど、2人に報いることもできたのかなとうれしくなりました。主人は私生活では自由人だし、家庭でも満点パパではないですけど、モノ作りの才能と努力に関しては本当に尊敬しています

 真寿実さんは静かにほほ笑んだ。

「つらいことや影があるからこそ、光の輝きは増す」

 そう語る川西さん。数々の挫折を乗り越え、多くの人々に支えられながら生き抜いた経験が生かされた作品だ。

「美術をやめて、ランドスケープからサインデザインへと回り道してきたけど、人の生活に寄り添うこの仕事をやっていなかったら、メダルに行きつくことは絶対になかったと思います。これからもすべての人にわかりやすいデザインを創り、みなさんの役に立てればいいなと思います」

 穏やかな笑みを浮かべる川西さんのメダルが真の意味で完成するのは、勝者の首にかけられたとき。どんな角度から光が当たっても美しく反射し輝きを放つように作られているからだ。1年後に感動的なその光景を目に焼きつけるのを、彼は今、心待ちにしている。


取材・文/元川悦子(もとかわえつこ) 1967年、松本市生まれ。サッカーなどのスポーツを軸に、人物に焦点を当てた取材を手がける。著書に『僕らがサッカーボーイズだった頃1~4』(カンゼン)など