毎日欠かさず32キロ、ママチャリで爆走

 そんな中、美代子は泳ぐことだけは、やめなかった。

「マタニティースイミングに通い2人目の娘・加帆が生まれてからも、週2回は義母に娘たちを見てもらい、2時間みっちり泳いでいました」

 美代子が常にポジティブでいられたのは、泳ぐことが源。このルーティンがなかったら、のちに芽生える自転車競技への夢も見ることはなかったかもしれない。

すり鉢状のバンクの斜面は立つことも難しいくらいの急角度。ゴール前で競って落車した自転車が残した跡が深く刻まれていた 撮影/伊藤和幸
すり鉢状のバンクの斜面は立つことも難しいくらいの急角度。ゴール前で競って落車した自転車が残した跡が深く刻まれていた 撮影/伊藤和幸
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 美代子が毎日、自転車に乗るようになったのは、平成2年。4歳になった長女・加奈の小学校受験がきっかけだった。

「評判のよかった幼稚園に通わせるために、電車移動だと回り道になることから、片道5キロの道のりを20分かけて幼稚園まで自転車に乗せて送り迎え。電車に比べてストレスもなく快適でした」

 と話すが、自転車に乗るのは姉・加奈だけではない。1人で家に置いておけない妹・加帆も前に乗せるのだから、3人の体重を合わせるとなんと100キロ近く。

 しかも電動自転車のないこの時代に、ママチャリでほぼ毎日20キロ。雨ニモマケズ、風ニモマケズ、送り迎えをしていたというのだから驚く。

「走るコースを変えると、春には菜の花や桜。秋には秋桜や彼岸花など季節を感じられる。走っていて娘がセキセイインコを見つけて、しばらく飼ったこともありました」

 季節を愛でながら走る。

 これが1年や2年の間なら楽しめるかもしれないが、長女の卒園後、今度は次女を乗せて片道8キロ、2往復する日々が始まった。毎日欠かさず32キロ。この距離は、山手線を1周する距離だ。

 こうした生活が足かけ7年間続き、美代子のママチャリによる走行距離は、のべ4万キロ。これは驚くべきことに、地球1周分の距離に匹敵するという。

「おかげさまで、2人とも志望校に合格できました。今から思うと、この送り迎えの時間が、私と娘たちの貴重なコミュニケーションの時間でもありましたね」

 2人の娘が小学校に上がると、余裕ができた美代子は地元の水泳教室で再び教えるようになる。そんなある日、

「成人クラスの生徒さんから『トライアスロンはいいよ』とすすめられ、興味を持ったんです」

 20歳のころ、トライアスロンをやってみたいと思っていた美代子の心は疼いた。