全日本トライアスロン宮古島大会。3度目の挑戦で初めて完走
全日本トライアスロン宮古島大会。3度目の挑戦で初めて完走
【写真】真っ黒に日焼けした高松さんの学生時代

300kmレース、途中で爆睡するも女子トップ

「水泳はできる。次は走ってみようと思い立ち、休みの日には自転車で伴走する娘たちと多摩川土手のハーフ(20キロ)コースを走るようになりました」

 夫と自転車に乗って走るようになったのもこのころ。

 しかし、まさか自分が本格的にトライアスロンや自転車のロードレースにのめり込んでいくとは、このころはまだ思ってもみなかった。後に師匠と呼ぶことになる窪田公一さん(61)と出会ったのは、地元のスポーツクラブ。

「クロールで何往復も休まず泳ぎ続ける女性がいて、しかもスピードが恐ろしく速いから、誰もそのレーンに入っていけない。もうおしまいかなと思ったら、仕上げにバタフライで30分、颯爽と泳いでいました」

 と20年ほど前の美代子との出会いを明かす窪田さん。 

 サイクリングパンツの日焼けの痕がクッキリ残るカモシカのような脚を見て、

「トライアスロン、やってますか?」と思わず声をかけた。

「窪田さんも所属するサイクルショップのクラブチームを紹介してもらい、土日になると大井埠頭の周回コースをついて走るようになりました」

 窪田さんは高校・大学と自転車部に所属。アマチュアの大会で総合優勝を飾ったこともある本格的なロードレーサーだ。

「当時の美代子さんは、サドルの正しい位置やペダルの踏み方もわかっていないくらいの初心者でしたが、ポテンシャルが半端なかった。行き先を告げずに蒲田から出発し、いきなり相模湖まで山あり谷ありの行程往復150キロを走りましたが、ギブアップすることなくついてきましたから」(窪田さん)

 それから美代子は、週末になると窪田さんたちと奥多摩1周150キロ、三崎往復160キロと、気がつけば毎週100キロ以上、自転車で走り込むようになっていた。

「もともと水泳をやっていたから肺活量がある。走り方を覚えたらぐんぐん速くなり、一緒に走っても高松さん(ご主人)はついてこられなくなりましたね」(窪田さん)

 日進月歩。日に日にめざましい成長を遂げる姿を見た窪田さんは、本格的な練習を始めて半年足らずの美代子を日本で最も歴史のあるロングライドイベントに誘う。

 それは高尾山から相模湖畔を回り、塩尻峠を越え白馬を抜け糸魚川に至る「東京-糸魚川ファストラン」。不眠不休で300キロを走破する過酷なレースだが、美代子は夫の大反対を押し切って出場を決意する。

「スタートは早朝の5時。家事や食事の支度に追われ、一睡もせずに出発した私は、およそ200キロ地点で猛烈な睡魔に襲われました」

 そのときの様子を窪田さんは鮮明に覚えている。

「北アルプスの山々が聳える川沿いを走っていると、後ろから『もうダメです』という声が聞こえました。慌てて振り向くと、美代子さんは自動販売機でコーラを買い飲み干すと、そのまま仰向けに寝て20分間、爆睡。ピクリとも動きませんでした」(窪田さん)

 そうしたアクシデントに見舞われながらもおよそ11時間でゴールした美代子のタイムは女子選手の中でトップ。

 翌年は、タイムを30分以上縮め、気がつけば「東京-糸魚川ファストラン」8回優勝の快挙を達成したのである。