注目のデビュー戦とヤジ

 2012年7月1日。平塚競輪場のスタンドは復活したガールズケイリンをひと目見ようと、大勢の観客が押し寄せ、スタート前からすでに大入り満員。

 その中には美代子の兄一家をはじめ、窪田師匠たち地元の応援団、さらに小学校の教員仲間も美代子の登場を今か今かと待ち構えていた。

「いよいよ美代子さんの名前が呼ばれ、登場するまさにそのとき。敢闘門の段差に足を取られてひざをついてしまい、転倒扱い。仕切り直してレースは行われましたが美代子さんは6着に終わりました。『あの美代子さんでも緊張するんだね』と話したのを覚えています」(窪田さん)

 仕切り直しは、車券が売れなくなるから競輪界のタブー。

 当の美代子はやや不満げに、

「ちょっとひざをついただけなのに転倒による“落車扱い”は納得できませんでした」

 と話す。注目のデビュー戦がまさかの展開。これが祟ったのか、なかなか勝つことのできない美代子。いつしかファンの間では、『高松美代子は、いつになったら勝てるのか』といったヤジが飛ぶように……。

「競輪学校の後輩たちが入ってきたらもっと勝てなくなる。川崎競輪場で指導していただいていた師匠の三住博昭さんにも『年内中に1勝しろ』とハッパをかけられました」

 チャンスが巡ってきたのは、高松競輪場で行われたその年の最終レース。しかも12月27日の最終日とまさに崖っぷち。

「バック(向こう正面)から踏み出したら4コーナーから突き抜けて、最後の最後に捲くって勝った。脚に余裕があると周りの状況がよく見え、位置取りや踏むタイミングもバッチリ。スタンドから『おめでとう』コールが起きたときは、泣きそうになったけど『私の競輪人生はこれから始まる』と思って自分自身を鼓舞しました

2012年7月に復活したガールズケイリン。緑の勝負服がよく似合う
2012年7月に復活したガールズケイリン。緑の勝負服がよく似合う
【写真】真っ黒に日焼けした高松さんの学生時代

 初勝利の喜びもつかの間、美代子は3日間のレースを1か月のうち、2回から3回戦う生活に身を置いた。

 しかしプロの水にも慣れてくると、美代子は地方遠征が待ち遠しくてたまらなくなっていた。レースの前後に各地のお城や観光地を訪ね、温泉に浸かり、名産品に舌つづみを打つ。

「中でも松山がお気に入り。道後温泉に浸かり、鍋焼きうどんや鯛めしを食べ、松山城に行くのはお約束。レースの前日に金比羅宮の石段を上って筋肉痛になってしまったことも今となっては懐かしい思い出です」