夢破れ、新婚早々ハードな介護生活へ

 その一方で高校時代は生徒会活動にも熱心に取り組んだ。高校1年と2年連続で学年代表を務めた彼女は、高校3年のとき生徒たちによる選挙で、生徒会長にも選ばれている。

高1のとき「日本泳法シニアの部」で全国2位に輝いた。写真左が高松さん
高1のとき「日本泳法シニアの部」で全国2位に輝いた。写真左が高松さん
【写真】真っ黒に日焼けした高松さんの学生時代

 後に競輪学校でも生徒会長を務めることになる美代子。“鉄人”と呼ばれる鋼のメンタルとキャプテンシーは、高校生のころから養われていたに違いない。

 実はこのころ、美代子には将来叶えたい夢があった。

「小学校2年生のとき、ドラマ『アテンションプリーズ』(TBS系)を見て、ひそかにキャビンアテンダントになる夢を抱いていました。短大に進学してからは、“CA一直線”でしたね」

 1970年の夏から放送されたドラマ『アテンションプリーズ』は、女優・紀比呂子演じる断トツ劣等生のヒロインが、キャビンアテンダントになる夢に向かって挫けず努力するスポ根ならぬ“職業根性ドラマ”。

 当時の女子たちを熱狂させ、このドラマに憧れてキャビンアテンダントを目指す女性も急増。社会現象にまでなっている。

 ところが現実は厳しかった。

「全日空は二次選考、日本航空は最終選考までいきましたが、結局、外資系も含めて全滅。CAになることしか考えていませんでしたから狭き門とはいえ、ショックでした」

 就職浪人は許されなかった当時、美代子は母校・賢明学院で事務職として働きながら通信教育で教員免許を取得。小学校の先生になる決心を固める。

 そんな矢先、美代子の運命に新たな出会いが訪れる。

 夜は小さな英会話スクールでバイトしていた美代子。彼女の前に現れたのが、7歳年上の慶応大学出身の素敵な男性、高松繁男さん。

「英会話スクールのクリスマスパーティーで紹介され、彼の背が高くて優しそうなところに惹かれ、付き合うことに。休みの日に彼の趣味のロードバイクを借りて、2人で奈良までサイクリングしたのも懐かしい思い出です」

 年の離れた相手との結婚に両親は反対していたものの、2人は夫が30歳になる1985年に結婚。美代子は大阪を離れ、東京・蒲田で夫の両親と同居することになる。

「主人に『一緒に住んでくれる?』と言われ深く考えずに同居に踏み切ったものの、70代の義理の父は半身不随。夫の姉の協力のもと、交代でお風呂に入れるなど、戸惑うことばかりでした」

 何不自由なく育った美代子が、いきなり大正生まれの舅・姑と同居。戸惑いを覚えるのも無理はない。しかし、驚くのはまだ早かった。

「ご飯をガスで炊き、炬燵は練炭で温める。しかも洗濯機は外置きだから、冬の洗濯はTシャツが凍るほど寒い。そして布巾はお古の服で縫ったお手製などなど、高松家はまるで子どものころに見たホームドラマの世界のようで、驚きの連続でした」

 実家に帰省した折、母・佳美にその話をしたところ一計を案じてくれた。

「『お父さんがゴルフの景品でもらってきた。実家では使わないから』と理由をつけ、こっそり炊飯器を買ってもらい、ガスや蒸し器を使う生活からやっと解放されました。義理の母は嫁入り道具で持ってきた電子レンジを初めて見て『なにこれ!?』と目を丸くしていましたよ(笑)」

 義父の世話に明け暮れ、家にいることの多かった美代子の義母は、自分で切符も買えないような超アナログ人間。しかし、そんな義母との暮らしは、面白くもあった。

「義母はにんじんの皮からねぎの青いところまで食材は全部使い切る。20代でおばあちゃんの知恵袋がすっかり身につきましたね」

 しかし子育てでは、姑と意見がぶつかることもあった。

「結婚の翌年、長女・加奈を無事、出産。いよいよ教職に就こうと考えていた矢先、『繁男や子どものご飯が作れないようなら働いてもらっちゃ困る』と言われ、諦めました」

 しかし何があってもポジティブなのが、美代子の流儀。

「嫁いでから、たまに実家で顔を合わせても僕には愚痴ひとつこぼさない。親の反対を押し切って結婚したので、弱音は吐きたくなかったんでしょうね」(兄の壽彦さん)