容赦ない父親に97連敗!

 運命の女性にもたとえる将棋との出会いは、小学2年生のときだ。

 今泉さんは1973年に愛知県豊橋市で生まれた。両親と姉、妹の5人家族。社会保険労務士関係の仕事をしていた父の都合で、6歳のとき岡山市に転居した。小学校に入ると学校の図書室で、偉人の伝記を読みふけった。

「この人は何歳で死んだのかとか、死に方に興味があったんです。今でも有名人の享年はスラスラ言えますよ。織田信長49歳、武田信玄53歳、シューベルト31歳……。だいぶ変わってましたね(笑)。

 今日は誰の享年を覚えようかなと本棚を見ていたら、“玉将”と書かれた五角形の木片が表紙に大きく印刷された本があった。どうしてかはわからないけど、その本を手に取ったのが今泉の将棋人生の始まりです」

 最初の対局者は、父の正さんだ。本でルールを覚えて挑んだが、まるで歯が立たない。なんと97連敗!

「1回くらい負けてあげたらいいのに」

 見かねた母の恭子さん(75)はそう口にしたが、正さんは、

「勝負は勝負だから」

 と、まったく手加減をしなかったそうだ。

中高年の男性客でにぎわう将棋クラブに小学5年生から通い始め、平日は武者修行をしていた
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 あまりの悔しさに、今泉さんは折りたたみ式の将棋盤を投げつけて真っ二つに割ってしまったこともある。こっぴどく叱られ、割れた将棋盤はガムテープで補修した。

 図書室にある将棋の本を片っ端から読み、載っている詰め将棋を解いた。

「将棋って、ちょっとキツい言い方をすると駒を使った殺し合いなんです。王様を取ることは相手の命を取るということ。命がけでやっているので、負けたときにはこの世のすべてが終わったみたいに、こう(ガクンと首をうなだれる)なるんですよ。

 ムッチャクチャ悔しいから勉強をする。その結果、98回目に連敗が止まったときは、すっごい喜んで、ガッツポーズをしました。初めての、ものすごい悔しさと、ものすごい喜びの両方を与えてくれたのが、将棋だったんです」

 3年生になると父との対戦成績は五分五分になり、やがて今泉さんが勝ち越すようになった。

 4年生のときに広島県福山市に引っ越した。今泉さんは強くなりたい一心で、学校から帰ると自宅近くの書店に行き、将棋界でバイブルともいわれる『将棋大観』という分厚い本を自分のノートに書き写した。3千円近くする高価な本で、買ってくれとは言い出せなかったのだ。

「ほんまは、やったらあかんのですけどね(笑)。僕、筆圧が強いから、手は鉛筆の粉だらけ。その手でページをめくってベタッと触るから、本は売り物にならないくらい黒ずんでしまったと思います。よく許してくださったなあと。ただ、そうやって書いて覚えたことは記憶に深く残るので、原点になっていますね」

 父のすすめで地元の将棋教室に通い始めると、当初アマチュア5級ぐらいだった実力は5年生の終わりにはアマ二、三段になった。

 小学生名人戦など各地で対局があるたびに付き添ってくれたのも父の正さんだ。41歳でプロ入りした息子の晴れ姿を見届けた後、正さんは亡くなったが、当時の様子を母の恭子さんが教えてくれた。

「娘たちはそっちのけで……と言ったら語弊があるかもしれませんが、主人は健司の将棋に関しては一生懸命で、とことん付き合っていました。 そうやって、あちこち連れて行って他流試合をしたこともあって、強くなっていったんだと思います」