広島の小学生でいちばん強いという自負が芽生え、全国大会に出場
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プロを目指し15歳で大阪へ

 初めて奨励会に入ったのは14歳、中学2年生のときだ。奨励会の試験を受けるにはプロ棋士の師匠が必要だが、福山の将棋教室の先生を通じて、小林健二八段(現九段)が引き受けてくれた。

 今泉さんは奨励会の例会(対局)だけでなく将棋連盟の記録係などの仕事も積極的に引き受け、福山から大阪市の関西将棋会館に足しげく通った。一方で中学の欠席日数は3年時には122日にのぼっていた。

「奨励会に入ってからはプロ棋士になると勝手に決めていたので、学校の勉強はほぼせんかったですね。だから、成績はもう、ズタボロ(笑)」

 高校には行かず、大阪のアパートでひとり暮らしをしたいという息子の願いを、両親はあっさり許した。

 まだ15歳の少年だ。よく送り出したと感心すると、母の恭子さんは「のんびりしているんですかねぇ。そこまで心配しなかったんです」とおっとりした口調で返す。

「主人は大学を出ているので、“高校ぐらいは行け”と言うんじゃないかなと思ったんですが、そんなに将棋が好きなら、やってみろと。本音を言いますと、小林先生が近くにいてくださったので、安心感はありました」

 師匠の小林さんの配慮で、今泉さんは毎朝8時に小林さんの家で朝ご飯を食べ、その後、将棋会館に行くことになっていたのだ。ただ、「不安がまったくなかったわけではない」と恭子さんはもらす。

「健司は何にでも興味を持つ子だったので、遊びを覚えちゃうと怖いなーとは思ったんですが……」

 6級から1級までは順調に昇級したが、初段を前に勝てなくなった。

 今泉さんは奨励会の仲間のアパートに入り浸り、麻雀やお金を賭けたトランプ、当時流行っていたファミコンなどに没頭した。

「現実逃避ですよね。将棋に負けると本当にイヤになるので、逃げたんですよ。“何で俺が負けるの? おかしいでしょ”と事実を見ない。他人が自分よりすぐれていることを認めたくない。そこで自分に向き合えない人間は上に行けないんです」

 徹夜で麻雀をして、小林さんの家での朝食にも遅刻が続き、ついに帰郷を命じられる。17歳のときだ。

 福山の実家に戻り、ステーキ店でアルバイトしながら大阪に通った。将棋に専念すると成績も上昇。20歳で三段になり、再び大阪でひとり暮らしを始めた。

 プロ棋士になるための最大の難関が三段リーグだ。30数名の三段が半年間で計18局を戦い、上位2名のみが四段、つまりプロになれる。しかも奨励会には21歳までに初段、26歳までに四段にならなければ退会という年齢制限がある。奨励会に何年いても8割の人は夢破れて去っていく、厳しい戦いだ。

「24歳のときに“アレ? 何かおかしいな”と違和感を感じたんです。もしかして俺はプロ棋士になれないんじゃないか。そう思った瞬間に、成績も一気に下がってきて、その後は、もうボロボロ。負けた後の気持ちの切り替えも、全然できてなかった。プロになった今でもけっこう難しいなと思っているので、当時の自分に切り替えなんて、できるわけないですわ」

 26歳の年齢制限が迫るなか、ずっと教えてきた後輩にも負け、「すべて終わった」と気持ちが折れた。

「消えてしまいたい……」

 14歳から12年間、青春のすべてをささげた奨励会を退会。アパートに戻ると、布団にくるまったまま3日間、動けなかった。

「自殺したら迷惑がかかるから、それは嫌だったんです。奇術みたいに、ポンと消えないかなと思って寝ていたんです。でも、残念ながら身体は溶けてなくならない。何もしないわけにはいかないから、動かなきゃと」