こうした状況に大きなショックを受けたのが、生田だった。11歳から表舞台で活躍し、新聞に「第2のキムタク」と書かれたこともある彼は、'99年デビューの嵐に選ばれてもおかしくなかったからだ。

もちろん、最初の頃はいつかグループを組んでデビューするのかなとは思っていました。でも、なかなかチャンスがなくて(笑)」(『ORICON NEWS』'17年10月26日配信)

それぞれで一流になった「FOUR TOPS」

 Jr.にとって、デビューできるかどうかは人生を左右する大問題だ。チャンスを逃し続けたために、あきらめてやめていく人も少なくない。が、生田はあきらめず、役者の道を極めることで一流になった。それは、風間も同じだ。

 そんなふたりに比べ、長谷川の活動は地味だが、今年は風間とともにNHK大河ドラマ『麒麟がくる』に出演するなど、結果を残し続けている。この3人はジャニー氏の言った「それぞれのところで頑張る」を実践することで、見事に生き残ったのだ

 ジャニーズの長い歴史においても、こういうケースは珍しい。グループで売れてからソロ活動を展開するパターンと異なり、グループでのデビューを経ずにソロ活動だけで成功するのは至難のワザだ

 ついでにいえば、山下も現在はソロで活動。NEWSの時代から、主演ドラマの主題歌をひとりで歌ってヒットさせるなど、じつはソロ志向でソロ向きなのではという印象もあった。

 そして今、4人はそれぞれ、ジャニーズの公式サイトに自分の紹介ページを持っている。つまり、FOUR TOPSはソロでも結果を出せる男たちの集まりだったのだ。そこが伝説のグループと呼びたいゆえんである。

 逆にもし、彼らがそのままデビューしていたら、という想像もしてしまう。グループ活動による切磋琢磨や認知度アップなど、相乗効果も期待できるから、それこそ嵐やSMAPに匹敵するような“アイドルの王道を行くすごい存在”になっていたのではないか。

 ただ、ソロならではの身軽さという冒頭の話に戻れば、グループデビューしなかったおかげで生田も風間も早く結婚できた、と見ることもできる。

 なんにせよ、彼らがそのままデビューしなかったのもひとつの運命だ。そんなめぐりあわせの妙を愛でることこそが、ジャニーズウォッチングの醍醐味かもしれない。

PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。