中学3年のとき、バスケットボールの全国大会で優勝した。シュートをしているのが久美さん。部活後は疲れて寝てしまうため早起きして勉強し、通知表はオール5だったという
中学3年のとき、バスケットボールの全国大会で優勝した。シュートをしているのが久美さん。部活後は疲れて寝てしまうため早起きして勉強し、通知表はオール5だったという
【写真】『世界の山ちゃん』山本重雄さんと久美さんの結婚式

 さて、そんななかでも守山中学バスケットボール部は、久美さん1年のときの全国優勝に始まって在校中に破竹の3連覇を遂げる。

 華々しい成績を上げたが、高校ではバスケとは半歩距離を置くことを選ぶ。進学先として選んだのは、名古屋市立向陽高等学校だった。

「井上先生から“名短付属には来るな”と言われて(笑)。私は背が小さい(155センチ)からレギュラーになれないということが先生にはわかっていた。キャプテンにはなれても、ベンチにずっといるキャプテンではつらいだろうと。バスケだけが人生じゃないと、おっしゃりたかったんだと思います」

 この高校で久美さんはバスケを続けつつ充実した“JK(女子高生)ライフ”を送る。

未来の夫との遭遇

 高校を終えたあとは大学へ。久美さんが選んだのは、愛知教育大学への進学だった。

 教師を養成する教育大への進学は、恩師である井上先生の影響が大きい。

「厳しい人なんですけど、生徒が言いたいことがあるときは、最後まで全部、聞いてくれるんです。バスケもですけれど、人としても尊敬していて“先生のような教師になりたい”と」

 そんな18歳、大学1年のときだった。

「ひと足先に就職していたマネージャーだった子から、“メッチャ面白くて美味しい店がある。連れていってあげる”と言われたんです」

 その居酒屋は、名古屋の繁華街・住吉にあった。

「ビルの奥の、ちょっと怪しげな店なんですけど(笑)、そこで生のホウレン草のサラダを食べて。今でこそホウレン草はサラダにして食べられていますし、うちの食卓でも出しますけれど、当時はホウレン草を生で食べるなんて、ありえなかった」

 サラダと一緒に食べた手羽先のから揚げもまた、食べたことがない味だった。

「あまりにも辛くて。そんなもの食べたことがなかったからびっくり(笑)」

 今でこそ人気の手羽先も、当時は始末に困っていたような部位。そんな食材や意外な野菜を、斬新なスタイルで“メッチャ面白く美味しく”調理して、知る人ぞ知る店となっていたその居酒屋は、店名を『山ちゃん』といった。いうまでもなく、夫・重雄さんの店であり、『世界の山ちゃん』の前身である。

「当時は(『山ちゃん』に)マニアはいたみたいですけれど、有名店ではなかったですね。このときはまだ、お互いの存在も知らなかったです」

 当時すでに数軒の居酒屋を経営していた山本重雄氏が開発したピリ辛の手羽先が“幻の手羽先”として口コミで人気を博し始めた、その矢先のことであった。

 愛知教育大学を卒業した久美さんは、小学校教員として名古屋市立猪高小学校に赴任した。

「中学に行ってバスケ部を指導したいと思っていたのに、小学校に配属になってしまった。小学校のバスケを指導しようとはこれっぽっちも考えていなかったので、身を潜めていればしなくてすむと思ってました(笑)」

 いくら身を潜めていても、噂は広まっていくものだ。夏にはバスケ部の主任顧問の補助役を引き受けた。

 ところがバスケ部の主任顧問が病気になって、長期休暇を取ることになってしまった。となれば、久美さんが指導の中心になるしかない。

 指導を始めると、子どもたちの実力がみるみる間に上昇していく。主任顧問が他校に転任となり、久美さんが指導の中心となった1年後には、男子チームが市大会で準優勝するほどになっていった。

 “来年こそは優勝だ!”と熱狂も高まるばかり。だが、小学校の部活には全国大会がない。どれほど強くても、市大会までだったのだ。

「そんなとき、ある先生から、“クラブチームを作ると、全国大会にまで出られる。高いレベルでバスケをやることができる”と聞いて。面白そうだと、クラブチームの『昭和ミニバスケットボールクラブ』を作ったんです」